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さあやって時々怖い声出すよね

 投稿者:cosmos  投稿日:2018年12月18日(火)04時43分27秒
   多分、五人の中で一番ガチギレさせちゃいけない人…
 だけど、医者宣言した直後にミラーレス一眼を欲しがるとか相変わらず何処へ行くのか分からん娘だw

 個人的にはれいらは本心隠したままでも良かった気もしますけどね。大人ってそういうものだし、嘘や建て前が思いやりになる事もあるし。
 さあやもさあやで女優への未練を断ち切ったわけではなさそうだし、そういった割り切れない重荷がどんどん増えていきつつも進んでいくのが人生ってものだろうと。

>映画のセリフの変化
 娘は強いと思っていた母の弱さを知り、母は娘の強さを認めた…って事を表現してるんでしょうねぇ。より厳密には母の強さの源が、今回弱さとして表れてしまったと言うべきかも知れませんが。

>小公女ネタ
 魔女宅ネタもぶっこんでました(黒猫のジジ→黒猫のルル)し、今回脚本遊び過ぎだろうとw
 それはそれとして、あんな感じの母親だから代わりに蘭世をぶつけるっていうのは上手い配役だなと。ネタ感強いけど良いキャラですよね。

>そのときそのときで心に正直に生きよう
 ゾンビランドのさくらみたいに、決断と後悔が直結してしまうと面倒なんですけどね。本来別々のものである筈なのに、そこに関係性を見出してしまうっていうのは色んな場面でありますね。
 決断して後悔して、また決断してまた後悔して…その末路にあるものがどれ程のものと信じられるのか…

 最後の個人回ではほまれもさあやも自身の100%を見せる事が求められたという事は、はなにも同じものが求められると思われますが…100%の野乃はなとは一体どの様なものなのか?皆の前で社長に対する心の内を告白する…とかでは無いと思いたい。(苦笑)


>最終回を前にして何か盛り上がってきたぞww
 「これで燃えなきゃ男じゃない!」と言わんばかりのXY染色体に訴えかけてくる展開のまた展開だからね。仕方ないね。
 裕太がグリッドマンである事を自覚するに前後して、「誰かの使命(物語)」だったものが「自分の使命(物語)」になっていく流れが最高にこの作品らしいと思います。現実感の獲得…とでも言えばいいのか…


>伝道時間のノルマ
 厳密に決まっているかどうかは兎も角、大抵の新興宗教はそんなもんだろうと思ってます。
 信者が欲しいどっかの誰かが、居場所が欲しい信者の足元見て働き蜂にしているんじゃないですかね。
 そんな信者の懐柔方法として、昔通っていた浄土真宗系の新興宗教では「合点いかずば合点いくまで聞きなされ」って教えてましたね。
 つまり、教典の内容を何度も繰り返し聞いていればその内疑問は無くなるからひたすら聞け、と。それが悟りだ、と。
 このお題目だと信者側としては教養が必要とされないので実に楽なんですよね。おまけに議論も拒否できる。
 後は「それで疑問が無くなったら洗脳だろう」という至極真っ当なツッコミをのらりくらりと回避すればいいだけっていうね。
 
 

愛娘達には父親の職業に憧れてほしくないなぁ(まぁ憧れないだろうけどw)

 投稿者:この道の者  投稿日:2018年12月17日(月)12時17分47秒
編集済
  >子の自立を描くときに、親もまた自立していくものだという視点はプリキュアでは珍しく、おそらく初めて

  「私の今までの夢は、お母さんが見ている世界を見てみたい、だった。その世界に触れることが出来たから、新しい夢が見つかりました。」

   自分が医業という夢に出逢う切欠をくれたのは、他ならぬお母さんの女優業そのものだったと、れいら母の淋しさ・わだかまりに寄り添りつつ、直後に「周囲の人々を笑顔にするという点で医業も女優業も目指す所は全く同じなのだ。」と言い放つ。そりゃれいら母でなくても我が子の成長っぷりに涙しますわ。実にいいセリフでした。


>倉山満『嘘だらけの日米近現代史』

   ざっと目を通してみましたが…一読しての印象は、記述が一面的で慎重さ・丁寧さを欠く、早い話が雑、でしょうか(毒)。いくら新書とは言え、曲がりなりにも日米近現代「史」なる書名を冠するのであるなら、(通説の批判を行う以上)巻末に参考文献が一つも記載されていないというのは如何なものかと思います。Amazonの「☆1つ」評価コメの中にもあるように「事実と意見や解釈は可能な限り区分けして提示すべきだ」との意見に私も賛成しますし、もっと言えば事実関係に関する著者の記述にも幾つか気になる点がありました。以下に3点例示します(↓)。

  ① 前掲書p.86  “…そして昭和十二年(一九三七)、支那事変が勃発します。時の首相は近衛文麿。首相側近にはスターリンのスパイが大量に入り込んでいたことが今では明らかになっています。”

◆◆◆

  「スパイが大量に」とありますが、以下のサイトの記述や、筒井清忠『近衛文麿 教養主義的ポピュリストの悲劇』岩波書店2009の記述等を見る限り、近衛首相の側近で確実に「スターリンのスパイ」だったと言えるのは、1941年ゾルゲ事件で逮捕(その後44年に処刑)された尾崎秀実(ほつみ)一人だけみたいですね(↓)。
  【ゆうのページ 南京事件―日中戦争 小さな資料集:あるいは共産主義者でいっぱいの日本―中川八洋『近衛文麿の戦争責任』(1)―】
   http://yu77799.g1.xrea.com/Comintern/nakagawa1.html

  (上記記事よりコピペ・赤字強調はブログ主)

   言うまでもないことですが、日本の共産党組織は、1928年の三・一五事件、1929年の四・一六事件という相次ぐ弾圧によってその力の大部分を失い、最終的には1933年の宮本顕治らの逮捕によって事実上潰滅していました。

   近衛が最初に首相になった1937年頃になっても、このような大規模な「共産主義者組織」が存在しており、しかも近衛首相自身も「共産主義者」であったというのは、中川氏の明らかな妄想でしょう。

   少なくとも、現在に至るも中川氏の所論をサポートするような材料は全く出てきませんし、「歴史学者」でこの奇想天外な説をまともに取り上げる方も存在しません。


◆◆◆

  ② 同書 p.89  “…侵略戦争の定義は「挑発されないのに、先に手を出した」です。米国内日本人資産の凍結や石油禁輸などの経済制裁、「日本は中国から撤退せよ、満州事変以降に日本がしたことは認めない」との内容を意味するハル・ノートなどは完全に挑発に当たります。”

◆◆◆

   たとえ日本側に挑発の意図は無かったにせよ、有名な1941年7月末の日本軍の南部仏印進駐(何故か同書には全く言及されていない)を米国が「挑発」と受け止めた結果、「米国内日本人資産の凍結や石油禁輸」なる対抗措置が取られたとするのが一般的見解だと私は思いますし、有名なハル・ノートにしても同年11月26日に日本側に提示される以前、既に11月上旬の段階で日本政府は12月上旬の武力発動を決意していたと言ってよいでしょう(↓)。
  【同サイト:「日米開戦」まで1ヵ月(1)11月1日「大本営政府連絡会議」】
   http://yu77799.g1.xrea.com/worldwar2/nitibeikaisen/kaisen1.html

  (上記記事よりコピペ)

   つまり日本は、「ハル・ノート」以前に、「十二月一日午前零時までに対米交渉が成功しなければ米英蘭戦争に突入する」という決断をしていたわけです。

   実際問題として期限通りに外交交渉を決着させることは極めて困難な情勢でしたので、これは「事実上の戦争決意」と言ってよいでしょう。 たとえ「ハル・ノート」がなくとも、「外交交渉」が期限切れとなればそのまま「戦争」に突入した可能性が高いものと考えられます。


   以上の記述は手持ちの高校教科書からも裏付けられます(↓)。

◆◆◆

   東条内閣は11月、日米開戦を12月初旬と決め、来栖三郎を駐米大使とし、野村大使とともに日米交渉にあたらせたが、もはや開戦までの時間つなぎにすぎず、アメリカもハル=ノートを手交して、アジアを満州事変以前の状態に服させることを要求してきた。

   (安達達朗著・山岸良二監修・佐藤優解説『いっきに学び直す日本史 近代・現代【実用編】』東洋経済2016 p.216-7より引用)

◆◆◆

  ③ 同書 p.97  “…こんな意識だから、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーを「神より偉い」と崇めるような愚行に走ってしまうのです(本当に「マッカーサー神社」創建の動きまでありました)。”

   以下の半藤一利氏の記述を見る限り、「マッカーサー神社」なる呼称は当時の熱狂的なマッカーサー人気を反映した比喩(あるいは揶揄)に過ぎず、実態は単なる記念館だったと取るのが妥当かと思いますね(↓)。なお余り当てにならないかもですが、一応Wikiにも同様の記述がありました。

◆◆◆

   この後[マッカーサーが離日する1951年4月16日]、国会はただちにマッカーサーへの感謝決議をし、また有志は銅像を建てようとし、さらに秩父宮殿下を筆頭に、同妃殿下、(以下人名略)、各界名士が名を連ねてマッカーサー記念館、別称マッカーサー神社をつくろうと計画するほど、皆が名残りを惜しみました。しかし、今日本のどこを見ても、マッカーサーの銅像も、記念館も、いわんやマッカーサー神社というものもないわけでして(後略)。

   (半藤一利『昭和史 戦後篇1945-1989』平凡社2009 p.308-9)


◆◆◆

   倉山氏はどちらかというと右寄りの論者かと思うのですが、氏の記述に従うと、皇族(秩父宮夫妻)による「マッカーサー神社」創建に向けた働きかけを「愚行」呼ばわりしていることになるのですが、その点は大丈夫なのでしょうか(チラッ)。


>相変わらずの人知国家
>そうじゃない人の「もっと重くしろ」感


   その真逆を行くのが五・一五事件を巡る諸判決ですかね。一国の総理大臣が暗殺された大事件だったにも拘わらず、全国から寄せられた100万人の減刑嘆願書を受けて、民間人一名の最高刑が無期懲役、海軍士官に至っては禁固十五年止まりだったらしいですからねぇ(しかもいずれも刑期満了前に恩赦で出獄している)。それから80年以上を経ても相変わらず「法律」よりも「情実」を優先させるメンタリティ。戦時中の徴用工に関するお隣の国の司法判断への論評が、そっくりそのままブーメランとなって自分に返ってくることに気付いている日本人は、さて如何ほどの割合でいらっしゃるでしょうかw(毒)。


>グリッドマン

   おお、最終回を前にして何か盛り上がってきたぞww。一方の『ゾンビランドサガ』が失速気味というか、小さく纏まってしまいそうなのが何とも残念ですが(苦笑)。


>宮内悠介

  『スペース金融道』河出書房新社2016を読んでいる途中ですが、いくらでも深遠なテーマが展開出来そうな考え抜かれたハードSF的設定をベースに、物語はそれとバランスを取るかの如く全力でふざけているという印象ですね。『盤上の夜』の時にも感じましたが、何だか精神を病みそうな生真面目な作風だなぁ…と思っていたら、田中圭一『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』角川書店2017で自身がうつ病であることを告白しておられました。成程、納得です。


>居場所ならそこに留まってればいいのに、人のところまで出張ってくるのがようわからんw

   信頼するに足るソースが今手元に無いので提示できないんですけれども、確かエホバの証人の方々には、本部より「伝道時間のノルマ」が課されていたかと思います。最近は昔ほど入信者が伸びないので、伝道に費やした時間の多寡で本部からの評価が決まる、という記事もどこかで読んだ記憶がありますね。

   以下のサイトの運営団体を私は存じ上げないので、今のところ記述の信頼性について個人的に疑問は残りますが、参考にはなるかもしれません(↓)。
   https://beforejw.net/evangelism/
 

相変わらずの人治国家

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2018年12月14日(金)12時51分33秒
編集済
   東名高速のあおり運転の判決は、ちょっと気になっていた裁判でした。
 要は「罪刑法定主義」的にどうよ?って話。『日本人のための憲法原論』で述べられていたように国の権利(支配力)は事前に法によって厳格に定められていて、かつ運用されるべきだというのが法治国家の大前提。で、今回の判決ってたぶん越権してるよね(危険運転致死罪の適用解釈が広がっている)。
 ワイドショー見てると法律家は流石にその部分を慎重に論じてるけど、そうじゃない人の「もっと重くしろ」感よ。
 被告はおそらくサイコパスだしどうなろうが知ったことじゃないんだけど、この国が気分によって人権を踏みにじる国ってことが改めてわかるよね。みんなが「やれやれ!」って言ったら決まりなんて知ったことじゃない。日本人にコンプライアンスは無い。そういう国なんだってことは覚えておいた方がいい。


>盤上の夜(宮内悠介)
 物語に引き込ませる独特の魅力がありますね、ちょっと作者の他の作品にも手を付けてみようかな。


>日本を過度に刺激することは得策でないというアメリカ政府内の対日宥和派の意思が反映されている。
 そんこったろーと思ったよw 倉山氏的には「不都合な真実」なんだろうなw


>信仰じゃなくて居場所
 居場所ならそこに留まってればいいのに、人のところまで出張ってくるのがようわからんw
 あまつさえ、書かれていることを読み上げるだけ(その内容の解釈や背景を理解していない)で人の心掴めるとでも?って私は噛み付いちゃうからカウンターかますんだけどね。


>ゲイツ君
 負けて帰るまでがテンプレ。ゲイツ君の強みは何度負けても偉そうな態度続けられるところ。
 真面目な話、大抵の場合ここでこじれて話がグダグダするんだけどジオウのメンツはブレないから見ててそこのストレスがないのはいい。
 

ひなせ君「恋愛回だと聞いてスタンバってました」

 投稿者:cosmos  投稿日:2018年12月14日(金)02時51分8秒
編集済
   この流れだとひなせ君を振るしかはなには選択肢がないわけですが、自らが希望を絶望に変える立場になった時、そして自ら絶望させた相手を応援できるのか?が問われた時、はながどの様な結論を出すのか今から楽しみですねぇw(ゲス顔)

 社長は…うん、出るたびにヘタレ度が上がってる気がする。JCに母(マザー)の面影を重ねて甘えたがってる様にしか見えん。
 プリキュアのダメンズウォーカーっぷりは個人的最大の謎だわ。


>信仰を持っているなら持っているでそれに応じた会話をしたい
 無駄に素直だった頃に幾らか付き合いがありましたが、あーゆー人らが求めているものって信仰じゃないと思うんですよね。
 彼らが求めているものは恐らく居場所。サークルとか友達とかそういったものを自分が所属する宗教団体に求めてるんだと思います。居場所があるだけで救われるんだから、そら向学心も無いわな。
 居場所に居させて貰う為の対価でテンプレの文句を憶えているだけなんだから、教養が無いのはさもありなん。


>【悲報】ゲイツ君、ディケイドにもパシリに使われる。
 ゲイツ君が発する凡人感、伸びしろが感じられて好きだわw


>からくりサーカス
 説明しよう!才賀しろがね(エレオノール)とは、焼死したフランシーヌを佐賀県が誇る錬金術で蘇生した、ゾンビ芸人だったのだ!!(二番組がごっちゃになってる)
 

餅は餅屋

 投稿者:この道の者  投稿日:2018年12月13日(木)12時06分19秒
編集済
  >日米戦争で得をしたのはソ連だけです。なぜかスターリンにだけ都合よく国際情勢が展開していったのです。

   うーん、私にはどうも倉山氏は「コミンテルン陰謀説」にやや傾き過ぎでは?との疑念が拭えないですね(苦笑)。というのも歴史学者呉座勇一氏は、著書『陰謀の日本中世史』角川新書2018の中で、陰謀論を「特定の個人ないし組織があらかじめ仕組んだ筋書き通りに歴史が進行したという考え方」と定義された上で、以下のように続けているからです(↓)。

◆◆◆

   …言い換えるなら、「陰謀の発案者は100%完璧に未来を見通すことができる完全無欠の天才(超能力者?)である」という発想が陰謀論の根底にある。

   南京虐殺事件の犠牲者数の検証などの昭和史研究で著名な秦郁彦氏によれば、陰謀論は以下の特徴を有するという。第一に「因果関係の単純明快すぎる説明」である。ある出来事が起こった時、実際には複数の要因があるのに、一要因に単純化して説明するのである。

   例の「田母神論文」で有名になった「コミンテルン陰謀説」はその典型だろう。(中略) 航空幕僚長(当時)の田母神俊雄氏は、アメリカ財務省の特別補佐官で戦後にソ連のスパイの容疑をかけられたハリー・ホワイトが「日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人」で、「ルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく」と主張した。日独に挟撃されることを怖れたソ連が、日本がアメリカと戦うよう、ホワイトを通じて仕向けたというのである。

   しかし、そもそもアメリカの対日外交を担当しているのは国務省(国務長官はコーデル・ハル)である。対日最後通牒ハル・ノートはモーゲンソーの私案も参照しているが、基本的には国務省で作成したものである。

   しかもホワイトが起草したモーゲンソー私案には、排日移民法の廃止や二十億ドルの対日借款など日本に宥和的な条項が含まれていた(ハル・ノートにはない)。ここにはドイツと戦うイギリスへの支援が最優先課題である現状において、日本を過度に刺激することは得策でないというアメリカ政府内の対日宥和派の意思が反映されている。ハル・ノートではなくモーゲンソー私案が日本に提案されていたら、日米戦争は回避されていたかもしれない。これはコミンテルン陰謀説の大きな矛盾である。

   ゾルゲ事件に見られるように、ソ連が諜報活動や謀略を行ったことは事実である。しかしホワイトと接触したソ連の元工作員のビタリー・グリゴリエッチ・パブロフは、NHKの取材に対し「ホワイトとは一度会っただけで、彼はソ連のエージェントではない」と明言している。ソ連にアメリカを操る力などない以上、コミンテルンが日米を戦争に導いたという説明は牽強付会と言わざるを得ない。

   本書で検討した事例で言えば、応仁の乱における日野富子悪女説も「因果関係の単純明快すぎる説明」である。応仁の乱は、将軍家の後継者問題、細川氏と山名氏との権力争い、畠山氏の家督争い、斯波氏の家督争いなど、様々な要因が絡み合って半ば偶発的に勃発した。これを「全て日野富子が悪い!」と単純化してしまうのである。


   (前掲書 p.309-10より引用 赤字強調は呉座氏)


◆◆◆

   なお私は、当初は呉座氏の専攻は日本中世史ということで、近代史は専門外だろうからコミンテルンに触れた上記の内容にもひょっとしたら事実誤認があるかも…などと失礼な事を考えていたのですが、南京事件や日中戦争を中心に信頼度の高い資料をしっかり読み込んでいることで定評のある以下のサイトの記述(↓)にほぼ合致していましたので、流石その道のプロはやっぱ違うわと手の平返しをした次第ですw(笑)。

【ゆうのページ 南京事件―日中戦争 小さな資料集:コミンテルン陰謀説(1)「ハル・ノート」はソ連製?】
  http://yu77799.g1.xrea.com/worldwar2/nitibeikaisen/White1.html


>「日米共同で満州の鉄道経営をしようというハリマンの申し出を小村寿太郎が一片の電報で破棄しなければ、日米戦争はなかっただろう」という俗説

   以下の記述を見る限り、当時満州を巡る利権に米国が参入できなかったのには、何も日本の意向だけに拠るものではなく、帝国主義列強の政治力学の齎した結果のようですね(↓)。

◆◆◆

   日露戦争での戦勝は、日本の国際外交上における発言力を強化させ、また、アジアの民族独立運動に刺激を与えることになった。それにも増して、帝国主義列強の力関係を変化させ、新しい対立と勢力結合を生み出した。

   ロシアの後退によって、極東をめぐるロシアとイギリスとの対立は解消し、世界各地で激しく植民地分割に割りこんできたドイツとイギリスとの対立が決定的になった。(中略) 帝国主義列強はイギリスを中心とする三国協商とドイツを中心とする三国同盟の両群に分かれ、植民地争奪をめぐってますます激しく対立・抗争を激化させていった。

   極東においては、満州における勢力分野が確定したことによって、かえって日本とロシアとの関係は緊密化していった。1907年7月、日露協約が締結されて、日・露両国は極東における勢力範囲を確認しあった。それにかわって、日本の進出は、日本とアメリカ・イギリスとの対立を発生させ、アメリカでは日本人移民排斥の動きが起こった。しかし、ドイツとの対立をひかえているイギリスでは、極東での日本やロシアの進出に強硬な方針がとれず、1905年(明治38年)に日英同盟を改訂して、インドを適用範囲に含めるなど、あくまでも協商側につなぎとめようとしたから、極東においては、アメリカが孤立化する様相を呈した。

   (安達達朗著・山岸良二監修・佐藤優解説『いっきに学び直す日本史 近代・現代【実用編】』東洋経済2016 p.144-5より引用)


◆◆◆

   歴史的には確かに1905年10月の桂・ハリマン協定の破棄以後、米国では1906年のサンフランシスコでの日本人学童の入学拒否事件に象徴されるような日本人移民排斥運動が深刻化していくんですが、その一方で1908年の高平・ルート協定、そして1917年の石井・ランシング協定で日米は不十分ながらも「互いの勢力範囲の棲み分け」に向けた対話を重ねていきますから、「小村寿太郎の強硬論が対米戦争へと繋がった」という「論」は、それこそ呉座氏の言う「因果関係の単純明快すぎる説明」だろうと私は考えます。


>エホバの人にモンキートライアルを振ってみるのも一つの手

   それよりは、創世記1章~2章3節と、2章4節~25節にそれぞれ記された、二つの「創造物語」の記述の齟齬(というより矛盾)について彼らがどのように考えているのかに私は個人的に興味がありますね。

   因みに植物と人間の創造のみに着目してみると、前者では神による六日間での世界創造の有様が語られます(植物の創造は三日目で、人間は六日目で男女同時に創造されたように読める)が、後者は日付の標記が無く、まず男(アダム)が創造され、その後植物の創造を挟みつつ、男(アダム)から女(エバ)が創造されたことが記されています。

◆◆◆

   神が世界をつくるという行為は、一回きりの行為であるはずです。私達がいるこの世界が一つでしかないからです。ところが、二つの物語で、世界をつくる手順が明らかに異なっています。ある一つの事件について、二つの異なった証言がなされている、という事態になっています。普通ならば、どちらかが真実である、あるいはどちらも嘘かもしれない、と考えることになります。しかし聖書は権威ある書物です。聖書の全体が真実を語っているという立場を受けいれなければならない、とされています。(中略)

   証言者は、何かを述べねばなりません。そして権威あるこの証言者が述べることは、真実になってしまいます。そこで証言者は、同一のテーマについて二つの異なる証言をしました。二つの証言が異なっているのですから、どちらも真実だとすることはできません。また、どちらの証言も権威ある証言者が述べていることですから、どちらかだけが真実だとすることもできません。こうなると、証言を受け取る側がこうした状況になるように、証言者の側が意図的に二つの異なる証言を示したのだと考えるしかありません。(中略)

  「聖書に書かれていることはすべて真実だ」といった単純な立場を否定するべきだということが、聖書の冒頭に記されていることになります。「真実」という言葉を使い続けるならば、「真実でないことを真実だとすることは、真実な立場ではない」というメッセージが、聖書の冒頭で示されている、ということになります。

   (NHKテレビテキスト 加藤隆『100分de名著 旧約聖書』NHK出版2014 p.27-8より引用)


◆◆◆

   冒頭部から読者の心をザワつかせ、原理主義者を挑発して止まない…本当に聖書ってロックな書物ですね(笑)。
 

誰が得をしたか

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2018年12月12日(水)14時28分2秒
編集済
  >嘘だらけの日米近現代史(倉山満)
 ここでよく持ち出される、「日米共同で満州の鉄道経営をしようというハリマンの申し出を小村寿太郎が一片の電報で破棄しなければ、日米戦争はなかっただろう」という俗説にも言及しておきます。ハリマン提案の拒否は、小村外相を含む桂太郎内閣の総意です。
 理由は簡単で、日本はハリマンと対立するモルガン財閥との提携を選んだからです。ハリマンは日本人が命がけで獲得した満州の権益の「分け前をよこせ」と言ってきているのです。モルガンは自分で満州に乗り出す気はないけれども、ハリマンが儲けるのを好みません。日本がアメリカ政財界に強いモルガンを選ぶのは当然です。日本にとってアメリカは最重要国ですから、関係を誤るわけにはいきません。また、モルガンと組めば権益を分け与える必要もありません。「一片の電報で契約を反故にされたハリマンがかわいそう」という純情可憐な外交史家の評論を真に受けていては、国際社会では生きていけません。


 鉄道王ハリマンの話は以前ここで話題にしましたが、なるほどこういう視点があるのね。
 今でこそアメリカは超大国ですが、少なくともペリーが来航した時点ではまだまだ新興国でイギリスとも関係が悪い微妙な立ち位置に過ぎなかった。ただロシアという脅威やヨーロッパ外交の力関係のバランスを取るために日本としてはアメリカの助力(仲介役)を得たかったこと、またアメリカとしても当時強国であった日本との友好関係は得るものが多かったという倉山氏の評はこれまであまり見なかった視点ですね。

 しかし、それにしても、なぜ日米はこうまでして戦いたがったのでしょうか。アメリカがスチムソン・ドクトリン(注:不承認宣言。満州事変発生後に起きたすべての事態を承認しない)に拘泥したのもおかしな話です。スチムソンはソ連のスパイだったと言う説もないではないのですが、今後の研究により事実が明らかになるでしょう。
 ただし、現時点でも以下のことは言えます。
 日米戦争で得をしたのはソ連だけです。なぜかスターリンにだけ都合よく国際情勢が展開していったのです。
 日米戦争の起点となったハル・ノートは、当時のハル国務長官が日本に突きつけたかたちなのでこの名で呼ばれます。しかし、その文面を起草したハリー・デクスター・ホワイトはソ連のスパイだったということが戦後に判明しています。日米戦争は、日本だけでなくアメリカにとっても悲劇であったとしか言いようがありません。どっちが悪いかではなく、日米双方にとって「追い込まれた戦争だった」ことを検証する必要があるでしょう。



 倉山氏の文章を読むとどんだけコミンテルン強えーんだよwwとは思うんですが、確かに第二次世界大戦後、支配力を一番強めたのはソ連だったように思います。ヨーロッパは軒並み弱体化、アメリカは何を得したのかわからない。そんな中でいつの間にかソ連は超大国としての地位を築き上げていました。

 この他にも倉山氏の本は何冊か読んだんですが、快刀乱麻にザックリと斬る語り口はわかりやすくて要領を得る分にはいいですね。


>聖書でも吸収しきれない概念
 エホバの人にモンキートライアルを振ってみるのも一つの手ですが、この道の者さん同様「そんなことは私の信仰にはどうでもいい部分です」と答えが返ってきたら私はそれで納得しちゃいますね。変に全部をこじつける方が無理な話で、自分にとってどこがクリティカルな部分なのかを押さえてくれていた方が話を聞く側からすると非常にスッキリします。
 

観客席の作画で、一風変わった画があったと思ったら…

 投稿者:cosmos  投稿日:2018年12月 9日(日)00時22分3秒
編集済
  スマイルで「キュアゴリラ」を披露した芸人さんが描かれているそうですねw>HUG 42話

>キュアアンフィニ
 ルックスがサマになってるってだけで、過去作に登場したネタキュア枠だと思っています。
 理由はアンリがあそこでプリキュアになる必要性を感じないから。
 あの一連の流れは観客が言ったように「夢」以上でも以下でもないと思います。叶えられなかった最後の望みを「夢」の中で叶える事で前を向く。
 再び歩き出すためならば、夢でもなんでも利用する。その泥臭さがHUGって作品でしょう。

 あえてプリキュアを名乗ったのは、アンリなりの茶目っ気だと思っています。登場時から「おれプリキュアになれんじゃね?w」とか言ってたし、何とも彼らしい「夢」でしたね。

 とはいえ、特権としてのプリキュアや子供等は、そうでない者に抑圧を強いる事にもなるので、守り続けていく事は難しいかも知れませんが…


>「神は生物を創造し、それぞれに与えた内なる法によって、それぞれが、その真価をするように進化させた。」
 結局、人間はなるべくして人間になったわけで、人間が現れる前から既に人間だった…って言ってる様にも聞こえますね。
 どう足掻いても人間が人間であるアイデンティティは神から授かったものとして譲れないって事かしらん。それだけ「自分が何者であるか」という問いは(信仰関係なく)人間にとって切実なものなのでしょうね。
 つまりは人間はムシが良くて面倒臭いww

 とは言え、聖書でも吸収しきれない概念があるという事は分かりました。有り難う御座います。


>祝え!新たな神の誕生を!!
 「ティファ!俺、神様信じる!!」…っていやいや。だったら最初からSDガンダムでやれよっていうねw
 まぁ、後のVガンダムでは超能力を根拠にした宗教が出てきたし、NTに心酔するとそういう心情になるものなんでしょうがw

 ていうか福井さんはガンダムをイデオンにしたいらしいですが、そしたらイデオンと∀とフェネクスペリオルドラゴンはどれが一番強いんだろうなぁ?(小並感)
 

腹の底が透けて見えるんだよ

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2018年12月 8日(土)20時12分3秒
  >とある県議会議員
 改めて動画見たけど、こいつはクズだな。言動がイチイチ芝居くさい上に終始自分擁護なんよ。


>野澤正平
 こっちは普通だと思うな。自分を置いて部下を助けようとするのは今も昔も美徳(倫理的)とされるし、倒産を前提として先を見ているとも言えるからね。
 「泣く」ことが問題というより、それに付随する態度、ニュアンスなんだよね。クズはだいたい共通して「私悪くありません」オーラ出す。それも論理的に筋道立てて弁証しようとするんじゃなく「私悪くありません」駄々っ子オーラ。


>ティンズリー
 粋だなぁ。
 お互いに完全であるなら、引き分けってそれはそれで良いと思うなー。
 

今週読んだ本でちょっと面白かったのは

 投稿者:この道の者  投稿日:2018年12月 8日(土)18時58分50秒
編集済
     宮内悠介の短編集『盤上の夜』東京創元社2012ですね。私は完全オリジナル作品よりは、史実をベースにした創作の方が楽しめました。中でも『人間の王』に登場するマリオン・ティンズリーなる実在の人物の生涯は何ともドラマチックですね(↓)。

  【ニコニコ動画・ゆかりさんが語る世界カイ人物伝 第1回】
   https://www.nicovideo.jp/watch/sm29541420


>テレビの記者会見などで疑惑や責任を追及されて泣く人
>私は彼らの涙を信用しない


   数年前の「とある県議会議員」の「号泣会見」がその典型でしょうかね。ただ概ねクズ共が雁首を揃える中、1997年11月24日に山一證券の自主廃業を公表した、「最期の社長」野澤正平氏のケースは数少ない例外のように私は思います。何でも自主廃業後も嘗ての社員たちの再就職に向けて奔走し続けたらしいですしね。

◆◆◆

   廃業発表の直前に社長に就任したばかりの野澤正平は、記者会見の最中に感極まり、「悪いのは私たちです。社員は悪くありませんから……。」と絶叫して泣き伏しました。

   この様子はテレビのニュースで繰り返し放送されました。海外のマスコミからは、「公式の場で泣き出すような経営者の会社がつぶれるのは当たり前だ」という冷ややかな反応しかありませんでした。が、日本国内ではこれ以降、職を失った山一證券の社員を採用しようという企業の動きが広がりました。社長の涙の訴えは、社員の再就職先探しに有効だったのです。なんとも日本的な反応といえましょう。


   (池上彰『そうだったのか!日本現代史』集英社2001 p.202-3より抜粋)

◆◆◆

   まぁ、自主廃業の数年後ということもあって池上氏の筆致はやや突き放した感じですねw。野澤氏の涙が演技性パーソナリティ障害に分類される事例なのかどうかは私には分かりかねますが、いずれにせよどうせ公衆の面前で泣く羽目になるんだったら氏のように“他人を生かし、結果自分自身の株も上げるような”涙を流したいものだとは思います(笑)。


>その様な世界情勢がそういう設定にしていったのかも

   シベリア出兵の大義名分も「ソ連領内のチェコスロバキア軍を救出する」ですしねぇ。地理的に遠く離れているはずの日本と中欧との意外な結び付きには驚かされます。


>これって前に出た、聖書の解釈のし直しとかで解決できない問題なんですか

   進化論発表当時、既に欧州のプロテスタントの主流派は自由主義神学(リベラリズム)を奉じていたので、当初から対決色は薄かったのではないでしょうか。現代でも相変わらず進化論にあからさまに敵対的なのは、スコープス裁判でも馴染み深い、原理主義的色彩の濃い米国のキリスト教右派(及びそれに影響された日本の福音派の一部)ぐらいじゃないですかねぇ?

   ローマ・カトリックでは1996年に教皇ヨハネ・パウロ二世が進化論を容認する発言をなされて以降、和解の流れにあるみたいですね。それを受けて現在の教皇フランシスコも2014年にビッグバン理論ともども「神は生物を創造し、それぞれに与えた内なる法によって、それぞれが、その真価をする[原文ママ]ように進化させた。」と創造と進化とを両立させる発言をされていますし(↓)。
  【『世界キリスト教情報』2014年11月3日(月)第1241信より】
   http://blog.livedoor.jp/skjweekly/archives/2014-11.html

   また自国の生物学者が唱える怪しげな学説(進化論)に発表当時強硬に反対した英国国教会も、2008年に126年ぶりに「当時の教会の対応は誤りだった。」ことを認めてダーウィンに公式に謝罪(死んでるけどw)しているようです(↓)。
  【同前、2008年9月22日(月)第923信より】
   https://cjcskj.exblog.jp/7508898/

   私自身は進化論を「何らかの信仰を前提とすること無く、万人がアクセス可能なルール(機械論的自然観)」に基づいて生命体の存在や多様性の説明を試みた学問体系だと捉えていますので、ビッグバン仮説同様、私の信仰を脅かしもしない代わりに補強することも無い、そういう意味では「どうでもいい」代物ですね。ただ教会という建物の中では進化論は未だにセンシティヴな話題で、話に出すと何かと面倒臭い(苦笑)ので私から積極的に言及することはありません。


>ゾンビランドサガ

   まさかの記憶喪失(2回目)ですか、引っ張るな~w。面白いんだけれどあと2回で纏められるのかなコレ?
 

ゲイツ君何で家出したのか分かんなかったけど、

 投稿者:cosmos  投稿日:2018年12月 2日(日)03時04分8秒
  舐めプされて自信喪失してたわけね~。距離を置いたのは一種の逃避と。


>ポーランド
 ゴールデンカムイで話題になってるアシリパさんの父親問題。あたしゃてっきりロシア人かと思ってたら、ポーランド人のダブルなんですってね。
 何故にポーランド人?って思ってましたが、その様な世界情勢がそういう設定にしていったのかも知れませんねー。


>ほんとにジオンの残党さんは色んな物をお持ちでwww
 「貧乏所帯設定どこいったwww」「いやいや資本が無いだけで資源はあるのかも知れんぞ?www」等といった呟きをTL上でも見かけましたねぇw
 大人の事情による矛盾もユーザーがその想像力で解決してくれるんだから便利っすね。


>キリスト教では人間は特権的な地位をもっている
 それをぶっ壊したのが、ダーウィンの進化論なわけですよね。キリスト教圏では猛反発を受けたし、現代に至っても信じていない人がいるとか何とか…
 これって前に出た、聖書の解釈のし直しとかで解決できない問題なんですかねぇ。


>いじめた子と真正面から向き合う必要はない。「いなす」ことが必要
 プリキュア以外だと最近では「宇宙よりも遠い場所」の日向と陸上部員の顛末が思い出されますね。
 一回の過ちで一生許されず生きていくって過酷だなぁ…とも思いますけど、割りとそういう後悔の類って人生では結構な量あったりもしますしね…
 

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