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家電量販店で声かけられるのほんと邪魔

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2017年 6月21日(水)17時33分27秒
編集済
  >多読
 多くの本を同時に読んだ方が脳に良い、という意見もあれば、ちょい難しい一冊の本をじっくり(1年かける勢いで)精読した方が脳に良い、という意見もあってどっちやねん。
 前者はマルチタスクの練習と情報のネットワーク化、後者は論理力の鍛錬ってことなんだろうけど。

 個人的にはプリキュアが後者の読み方に近いですね。1年ものの物語を1年使って読み込んで内在論理を整理する。これはノウハウなので他の作品を見るときも使えるようになります。

 あと、読書仲間がいると便利ですね。会話とかが記憶のとっかかりになることもあって「前にこの道の者さんが言っていたような…」と記憶を引っ張ってこれたり。一つのネタに対して2冊以上の本を読むと奥行きが出る。こういう本もあるよと紹介されるだけでも大きいですね。Amazonの「この商品を見た後に買っているのは?」も参考になるんですが、情報元は多い方が融通が利く。


 最近読んだ『やさしさの精神病理』も『つくし世代』もそれ単品なら「ふーん」で終わる話なんですが、これを紐付けてどうやら近年のコミュニケーションは変化しているらしい、と考え方を転換させて、もしかしたら社会背景が関係しているのではないか? 昔はどうだったのだろうか?と思考を巡らせていくと、100年前の日本人にまで視野が広がる。
 こういう発見や飛躍が読書の面白さでもあります。読書家は読むのも好きですが考えるのも好きな人種ですから。
 ただ、この辺は志向性も関係します。私は元々原理主義的にこうだ!という考え方はしない(時代によって変わるよね、変わるのはどうしてだろう?と考える)ので、プリキュアにしても人間の心性にしても変化そのものを楽しめるんですが、そうでない人は『やさしさの精神病理』や『つくし世代』を読んでも「ほらやっぱり最近の若者は軟弱で軽薄だ!」と思うかもしれませんね。


>「自由」と「平等」はトレードオフ
 トレードオフだし、どちらも緊密な関係だとも思います。
 自由を標榜するのは主に成功者ですが、彼らをそう足らしめたのもまた公共インフラという土台のおかげですからね。これを忘れて俺が稼いだ金は俺だけのものだ!と言うのは恩知らず。まあ、ヨーロッパ、特にイギリスのジェントルメン文化(資本家が公共事業に投資する)の思想があって、金持ちがみんな公共財に投資してくれれば文句ないですけど。
 もちろん、平等の元に成功者がいて、その結果を甘受できる世の中の方が公正でもあるし、競争が働くわけですから自由という要素も絶対に必要。

 政治的には自由と平等のシーソーゲームにならざるをえないしそうであるべきだとも思います。自由にしても平等にしても極端すぎればそれは結局人権を著しく損なう。
 
 

四十(五十前)の手習い

 投稿者:この道の者  投稿日:2017年 6月21日(水)11時36分6秒
編集済
  >多読家

   とりあえず広く浅く情報を仕入れて、後々思考を深めるための手持ちの材料を増やしておきたい…という渇望めいた欲求というのは、改めて読書に目覚めたここ数年来、常にあります。実際こうやって掲示板でやり取りする中で、「この話題については確かあの本で触れていたな…」と思い出し、その都度書棚を漁って読み直してみて新たな知見が得られたことは、これまで幾度もありましたし。

   とはいえ単に情報を仕入れるだけならパソコンなりスマホがあればそれなりに足りる。それでも読書を続ける理由というのは、一つは情報の確度が高いってことですね。それなりのレーベルの版元で著者名が明記されるとなれば、書き手にも「いい加減に書き飛ばしてお茶を濁そう」とのインセンティヴは働きにくいだろうし、それに何時消えてしまうか判らない(後日再検索しようとしても難しい)電脳空間内のネット記事とは違い、この「三次元の世界」に現出している本の場合、(紛失さえしなければ)いつでも読み返すことができるのも強みですね。

   そんな版元も著者も全く異なる本たちから、それら複数の記述を繋ぐ共通項っていうか、「貫く一本の線のようなもの」があることにふと気付いた時なんかは、読書を続けていて良かったなーってしみじみ思える至福の瞬間です…ただし滅多にありませんがw。


>地獄八景亡者戯
>見処の一つである‘閻魔の顔’


   ざっと観てみました。‘閻魔の顔’の演出一つ取ってみても、「人間国宝」三代目桂米朝と「浪速の爆笑王」二代目桂枝雀との、いわば「正調」と「乱調」の好対照ぶりに改めて驚かされますね。芸風だけを見たらとても師匠と一番弟子の関係とは思えない(笑)。


>現代は優しさの閾値が下がっている
>昔は本当にお節介を焼くくらいが優しさとして共有されたけど、現代はそこまでしなくてもみんな元気に楽しく生活することができる

   最近だとこの記事が当てはまるかな(↓)。どっちかっつーと私も放っておいてほしい派ですねw。

   Fashionsnap :“声掛け不要バッグ"の話題が広まる 8割が賛成派”
   http://www.fashionsnap.com/news/2017-06-05/ur-koekakehuyo/
 

多読家

 投稿者:長谷部  投稿日:2017年 6月19日(月)20時18分20秒
   今朝のテレビニュースで多読家なる言葉を初めて耳にしましたが、ニュースの話題の主より先に この道の者 さまを思い出してしまいましたよ。
 私なんか、こちらの掲示板の記事を読んでいるだけで、そこそこ読書してる気持ちになるんですから、まさに雲泥の差です。
 蜜蜂、結果的にはお役に立ったようで何より。私は読了後、マサカの‘ナクソス買い’に走りました。2枚組の半分しか聴き終わってません。


>地獄八景(←今頃かよ)

 この道の者 さまのおっしゃるとおりです。あの世の寄席は名人がぞろぞろ出演する至極贅沢なもので。
 私も実演は、こども時分(およそ40年前)にテレビで観たきりです。亡くなった米朝が全盛期の演技で、うちには録音テープしか残っていませんが、見処の一つである‘閻魔の顔’は今でも鮮明に思い出せます。
 かなり有名な長編上方落語ですので、どこかに転がっているものと思われます。ぜひ一度はご覧になってみてください。ちなみに、正式名称は『地獄八景亡者戯』です。
 

正ヒロインはいいからエルフちゃん出せよ(ヤンデレストーカーでも可)>Eマンガ先生

 投稿者:この道の者  投稿日:2017年 6月19日(月)15時38分31秒
編集済
  >政策によって再分配することは個人に対して「その分だけタダ働きしろ」と言っているのと同じ

  私の行きつけの図書館にも置いてないようで残念ですが、これって結局「新自由主義の旗手」の異名をとる米の経済学者ミルトン・フリードマンが唱えるリバタリアニズム(自由至上主義)の発想ですよね。彼は「国家が個人の社会保障に口出しして税金を徴収する行為は、己が金銭の自由裁量権を持つはずの個人に対する不当な介入、つまり自由権の侵害である」と主張し、現行の社会保障制度の全面廃止を訴えたとか。

   同じくリバタリアニストである米哲学者のロバート・ノージックは更に一歩進んで、国家が行う「徴税行為そのもの」を問題視しています(↓)。

◆◆◆

  …厳密に言うと、マイケル・ジョーダンの収入に課税することの何が間違っているのだろうか。ノージックによれば、道徳的には金銭以上のものが関係しているという。問題は人間の自由にほかならないのだ。彼はその点をこう説明している。「働いて得た所得に対する課税は強制労働と同じである」。たとえば私の所得の三〇パーセントを取り上げる代わりに、私の時間の三〇パーセントを国家のための労働に費やすように命じても同じなのだ。しかし、国家のために働くことを強制できるなら、国家は事実上私に対する所有権を主張していることになる。

   “誰かの労働の成果を奪うことは、その人の時間を奪いとること、またさまざまな活動を行なうように命じることと同じである。人びとがあなたに何らかの仕事を、あるいは報酬のない仕事をある期間行なうように強制するならば、彼らはあなたが何をすべきか、何のために働くべきかを、あなたの意思とは無関係に決めているのだ。そうだとすれば……その人びとはあなたの一部を所有していることになる。つまりあなたに対する所有権を持っていることになる。”
   (ロバート・ノージック著『アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界―』嶋津格訳、木鐸社1992 p.172)

   この一連の論証を通じ、われわれはリバタリアンの主張がはらむ道徳的難問に導かれる。つまり、自己所有権という概念である。私が私を所有しているなら、私は私の労働も所有していなければならない(誰かが私に働くことを命じられるなら、その人が私の主で、私は奴隷ということになってしまう)。しかし、私が私の労働を所有しているなら、私はその労働の成果にも権利がなければならない(誰かが私の稼ぎに権利を持つとすれば、その人は私の労働を所有しており、したがって私を所有していることになってしまう)。以上のような理由から、貧しい人を助けるためにマイケル・ジョーダンの三一〇〇万ドルの一部に課税すれば、ジョーダンの権利を侵害することになるのだとノージックはいう。事実上、国家もしくは共同体がジョーダンの共同所有者だということになってしまうのである。リバタリアンの見方によれば、課税(私の稼ぎを取り上げること)から強制労働(私の労働を取り上げること)さらに奴隷制(私が自分自身を所有していることの否定)までが道徳的に連続しているのである。…


   (マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学―』鬼澤忍訳 早川書房2010 p.108~9)

◆◆◆

   う~ん、リバタリアン達が言っていることもまぁ判らなくも無いんですが、私にはどこかしら富める者や頭の切れる者にとってのみ都合のいい考え方、要するに「勝ち組の論理」っぽく聞こえるかなぁ(笑)。完全なる自由競争に任せた結果、過去においてとんでもない格差社会を生んでしまったのは歴史的事実な訳で。

   それを防ぐには弱者の救済・強者に対する規制など、(曲りなりにも)平等化を推進する国家(暴力装置)の介入は必須だろうと私は考えます。ただやり過ぎると過去の社会主義国の多くがそうだったように、極めて非民主的な政体へと近づいていく…バランスを取るのは実に難しいものですね。推測ですが「自由」と「平等」とは恐らくトレードオフの関係にあるんじゃないかと。


>『未完のファシズム』だったかなぁ

   私は、森山優著『日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」』新潮選書2012のうろ覚えのイメージで、今回の感想の末尾を書きました。


>神から人を見るのと、人から神を見るのとの違いのような気もしますが

  
私もそう思ったんですが、一般に人間視点でいうところの「自然主義」なる考え方(哲学)は明らかにアニメでの説明とは違っていたので、重箱の隅と思いつつイチャモンをつけさせて頂いた次第ですw。
 

亜人がいない。やり直し>エロマンガ先生

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2017年 6月18日(日)20時11分17秒
編集済
  >利己主義という気概ーエゴイズムを積極的に肯定する(アイン・ランド)
https://www.amazon.co.jp/dp/4828414665

 本当は読んでプレゼンしたいんだけど図書館になくて、プレミア付いちゃってるから手も出しづらい。
 まあ、簡単にいうと個人主義(利己主義)に特化して書かれた本です。この手の主張は「知的水準が高く、自分のことは自分でできるエリートあるいは一部の層」が「俺らが稼いだ金を勝手に取るんじゃねぇ!」って言ってるだけなんですが、ただ原理原則の一つとして心に留めておいて損はないと思います。
 つまり、人間にとって重要だと思える自由・平等・公正のうち自由の原理。

 どんな人間にも、他人に対して、彼や彼女が選択してもいない義務を課す権利などない。報酬のない仕事をさせる権利もなければ、強制的な奉仕を課す権利もない。「他人を奴隷にする権利」などというものはない。権利というものは、他人による権利の物質的実行、つまり強制というものを含まない。

 次のことはきちんと覚えておいていただきたい。権利とは、人間の行動の自由を定義し保護するが、他人に対しては何の義務も強制しない道徳的原則である 。


 要するに「○○手当」や「○○無償化」のような政策は弱者救済のように見えるけど、そのコスト負担は他ならぬ税金であり、その税金とは国民の資産。税金を引き上げる、政策によって再分配することは個人に対して「その分だけタダ働きしろ」と言っているのと同じ。
 勿論社会福祉や公共インフラなどは民間の手に余る部分があると思うんだけど、過剰に国がそれをやるということは、国民の奴隷化に他ならない。国がやればやるほど国民の権利が侵害される恐れがある。他人の金だからと無責任な政策を乱発するのは権力の濫用ってことです。
 この前、森友学園の話したけど、個人の権利を保障するのが本来国家の役目であり憲法で、自由・平等・公正が完全に両立しないとしても、そこの原理原則を見失うと容易に人間を踏みにじりかねない。


>真道攻略
 沙羅花「勝った」
 事前に親にも紹介していたし、沙羅花ちゃんはヤれば出来る子(意味深)

 セーブ&ロードがまさかBADエンドルートのフラグだったとはザーさんも見抜けなかったようですね。

>自然主義と理神論
 神から人を見るのと、人から神を見るのとの違いのような気もしますが。異方から見れば作物だしねぇ(苦笑) うちは農薬使わないんです的な。


>日帝は英米を敵に回して勝てると本気で思っていたのかしらん
 これ誰もが疑問に思うけど誰もが「わからん」って答えるんだよね。専門家でも。
 どうも当時の意思決定が非常に曖昧というか、頑として強硬なタカ派がいてそいつらが「戦争やるやる!」って言ったわけではなく、んーどうしようかなぁ、戦争やる? やっちゃってもいいんじゃない? 勝てるの? 模擬的には勝てないね。じゃあやめる? あーでもやる方向で進めちゃってるし……天皇陛下も絶対に反対ってわけでもないし、良いんじゃね? みたいなノリなんだよね。名前忘れたけど、御前会議?の議事録みてもやるともやらないともハッキリしてねーみたいな。

 『未完のファシズム』だったかなぁ、ちょっと自信ないけど当時の組織が縦割りで、乱立していて、独裁的に強権を発する人や組織もなかった上に、横の繋がりも悪くてすごい無責任体質(決定権と責任が曖昧)で、その場の空気感でやってたって解説していた本がありますね。
 大人と子どもほどの国力差があるのになんでアメリカと戦争したのか。しかもその理由が中国との戦争を続けるためっていうw ほんとに意味わかんないんだけど、そこの意思決定プロセスが当時も戦後も曖昧なのは酷い国だと思いますね。今も大差ないけど。


 全国家秩序が絶対的価値体たる天皇を中心として、連鎖的に構成され、上から下への支配の根拠が天皇からの距離に比例する、価値のいわば漸次的希薄化にあるところでは、独裁観念は却って生長し難い。なぜなら本来の独裁観念は自由なる主体意識を前提としているのに、ここでは凡そそうした無規定的な個人というものは上から下まで存在しえないからである。一切の人間乃至社会集団は絶えず一方から規定されつつ他方を規定するという関係に立っている。戦時中に於ける軍部官僚の独裁とか、専横とかいう事が盛んに問題とされているが、ここで注意すべきは、事実もしくは社会的結果としてのそれと意識としてのそれとを混同してはならぬという事である。意識としての独裁は必ず責任の自覚と結びつく筈である。ところがこうした自覚は軍部にも官僚にも欠けていた。(丸山眞男『現代政治の思想と行動』)


>時間銀行
 「善意」をシステマティックにしてしまうとそれはたちまち善意ではなくなるというジレンマがありますよね。
 

今週の異方いろいろ

 投稿者:この道の者  投稿日:2017年 6月18日(日)18時31分36秒
編集済
     その① 沙羅花嬢「私はこの宇宙の、一番のファンだから!」「私は人が、大好きなんです。」

   名前は仏教っぽいのに、「この宇宙」にやって来た経緯はキリストの受肉に似ていますね(↓)。

 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。 (ヨハネ福音書1章14節より)

 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43章4節より)

 「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。(ピリピ人への手紙2章6,7節)


 「数十億年分の記憶を抱えて生きる少女」という設定は、梶尾真治氏の『エマノン』シリーズを意識したオマージュなのかもですね。尤もエマノンは沙羅花嬢ほど天然でも涙もろくもありませんがw。

   その② ザーさん 「繭の初期設定のみを行い、以降は手を加えない。自然主義か…。」

   自然主義というよりも、自然神論(理神論)というべきだと個人的には思うんですが…一般的に日本人にキリスト教神学は馴染みがないので避けたんでしょうかねぇ(↓)。

◆◆◆

 理神論(りしんろん・deism)

 ラテン語のデウスdeus(神)に由来し、ギリシア語のテオスtheos(神)に由来する有神論theismとは語源的に同じであるが、理神論には異端、異教というニュアンスを伴う。ルネサンスのユマニストの普遍的有神論やソチニ派(16世紀末~17世紀初めのイタリアでおこった反三位(さんみ)一体論の教説)と思想的類縁性をもつ。哲学説としては、神を認める点で無神論ではないが、神を世界とその永遠・普遍の法秩序の創造者としつつも、世界の外にたつ超越的存在者とする点で汎神(はんしん)論や内在論とは区別される。また、人格的な意志発動者としての神を認めず、世界は創造後には自動的に運動し続けると考え、したがって、人間生活に直接関係する摂理や恩寵(おんちょう)、奇跡、啓示も認めない点で、正統的有神論からも区別される。…


 (日本大百科全書(ニッポニカ)・「理神論」の項よりコピペ)

◆◆◆



   その③ 沙羅花嬢「そんな事したら、人が壊れてしまう…。」

   …ゴメン、何かエロいw(最低)


   その④ ヒロイン真道 「理由なんか…無いさ。俺たち人間は時々不思議なことをする。」

  『鏡の国のミラクル大冒険!』でキュアドリームを庇って消滅したダークドリームの件を思い出しますねぇ。


   その⑤ ラストの淋しそうなザ―さん「― 沈黙― (…フラれちゃった(涙目))」

   人形(意味深)では埋められない心の隙間が見事に表現されていましたね(笑)。


今回のプレゼン本:半藤一利著『ノモンハンの夏』文藝春秋1998

◆◆◆

  …これら連隊長クラスの悲劇をみれば、大隊長、中隊長、小隊長そして下士官・兵のおびただしい犠牲については改めて書くまでもないであろう。いかに救いのない死闘があったか。これまで明らかにされている第六軍軍医部調整の資料では、第二次ノモンハン事件[1939/6/19~9/15]にかんして、出動人員58,925人、うち戦死7,720人、戦傷8,664人、戦病2,363人、生死不明1,021人、計19,768人となっている。……これを第二十三師団にかぎっていえば、師団軍医部の調査によると事件の全期間をとおして、出動人員15,975人中の損耗(戦死傷病)は12,230人、実に76%に達したという。……ちなみに日露戦争の遼陽会戦の死傷率が17%、奉天会戦が28%、太平洋戦争中もっとも悲惨といわれるガダルカナル会戦の死傷率が34%。この草原での戦闘の苛酷さがこれによってもよく偲ばれる。 (p.342~3より)

  …ソ連軍の死傷者も、最近の秘密指定解除によって、惨たる数字が公開されている。戦死6,831人、行方不明1,143人、戦傷15,251人、戦病701人。これに外蒙軍の戦傷者を加えると、全損耗は24,492人となるという。圧倒的な戦力をもちながらソ蒙軍はこれだけの犠牲をださねばならなかった。 (p.344より)

  「ノモンハンの現状を視察し、空からホロンバイルの大平原を展望したが、あのような大沙漠、なんにもない不毛地帯を、千メートルや二千メートル局地的に譲ったとしても、なんということもないだろうにネー」 (p.209~10、東京三宅坂上参謀本部作戦科所属・作戦部長橋本群中将の非公式発言より)

◆◆◆

   高校日本史の教科書でも一行程度で簡単に片付けられている「ノモンハン事件」を取り上げた書物です。時代的には先日話題に出た『書かれなかった戦争論』の直後に当たります。私もこれまでよくは知りませんでしたが、引用した彼我の投入兵力を見るに、これは単なる局地戦の域を超えた実質的な対ソ戦と呼んでいいでしょうね。

   当時の日本の指導者連中が揃いも揃っていかに「無能で無責任」であったかを、(戦後視点からの上から目線で)痛烈に批判する『昭和史』同様の“半藤節”には若干辟易させられますが、どうして比較的短期間の戦闘で、日ソ双方が「矛を収める」ことに合意したのかが理解できたのが今回の読書の一番の収穫でした。

   既に日本は日中戦争が泥沼化していたし、1939年4月に天津の英疎開で起きた親日派中国要人暗殺事件で英国との関係はこじれ、当然英国と友好関係にあった米国との関係も不穏なものとなっていた(そして同年7月には日米通商航海条約廃棄が通告される(=米国からの資材輸入がストップ))。正直これ以上国際関係上の頭痛のタネは増やしたくない。一方ソ連のスターリンは独ソ不可侵条約締結に向け、水面下でヒトラーとの「腹の探り合い」を行うことに余念がない(交渉決裂なら当然予想される対独戦のため、条約を締結したらしたで「ポーランド分割」のため、いずれにせよ兵力を急ぎ東欧に終結させる必要がある)。とても極東のアブない新興国と戦果を交えている余裕はない…要するに日ソ双方とも「二正面作戦を避ける」という点で利害が一致したようですね。

   戦闘そのものは、30年以上前の日露戦争勝利の「成功体験」で時間が止まり、兵器の技術革新の遅れは「裂帛の気合い」や「大和魂」にて補うべしとする、例の終戦まで続くメンタリティを奉ずる日本軍と、五カ年計画に成功し日露戦争の敗戦の教訓を踏まえ、重戦車を主兵とする近代戦を想定した兵器の機械化及びその運用に成功したソ連軍という毎度お馴染みの構図のもと、戦略的重要性も地下資源も何もないモンゴルの大草原で足掛け五ヶ月間にわたり繰り広げられました。当然ボロ負けして不思議は無かったんですが、しもじもの名も無き一兵卒らの命懸けの奮闘により、両軍の死傷者数のみで評価する限りでは「限りなく負けに近いが、引き分けと強弁してもギリギリセーフ」なるレベルまで押し戻した…というのが個人的印象ですね。実際ノモンハンの戦闘を率いた「現場叩き上げの」将軍ジュ―コフは、事件後スターリンの質問に対し「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である(p.352)と答えたとか(ただ本書には、ソ連側の内部事情が一切描かれていないので、ソ連側も有能無能の程度においては案外似たり寄ったりだったんじゃないの?なる疑念を私的には拭えないんですが(笑))。

   付け加えてあと一つだけ。一般にノモンハン事件は、「どうもソ連とまともにやり合ったら勝てそうにない→ 北進論の断念」へと繋がった事件(戦争)であると理解されているらしいんですが、だからといってそこから南進論に切り替わる論理が未だに私には判らないw。当時の日帝は英米を敵に回して勝てると本気で思っていたのかしらん。それまで一戦も交えたことが無かった故に、軽薄なヤンキー風情など恐るるに足らずと侮っていたのでしょうか?相も変わらず裂帛の気合いと大和魂を以ってすれば容易く撃滅できるとでも?まぁ推測するに一番の理由は、日米通商航海条約廃棄に伴い石油を含めた各種資源が遠からず枯渇することへの恐怖(いわゆる「ジリ貧論」)に後押しされ、一発逆転を賭してってことで政府首脳らの見解が一致したということなんでしょうけれども。


>ミットフォードの娘たち

   デボラ・ミットフォード(デヴォンシャー公爵夫人)曰く「悲しみは人生の一部なのよ。」

   私がこの言葉を実感できるまでには、もう少し年を取らないといけないようですねw。


>詩羽のいる街
>この主人公と知り合いになりたい


   同感。Win-Winの関係っていうか、お互い割り切った付き合いが長く保てそうだしねw(ヘンな意味じゃなくて)。


>彼女はお金のコストを支払わない代わりに対人関係という超絶面倒臭いコストを支払っている

   佐藤優氏の著書の孫引きで恐縮ですが、経済学者カール・ポランニーによると人間の経済には三つの要素があるそうで…一番目は贈与(いわゆるポトラッチ)、二番目が資本主義社会下での商品経済、そして三番目が相互扶助だとか。

  『詩羽のいる街』の主人公詩羽はお金を介在させない、いわば高度な物々交換でもってこの三番目の相互扶助を特化させ己が生き抜く武器にしていたかと思うんですが、これはこれで御大の仰る通り交渉力・人当たりの良さ・コミュニティの個々の成員のニーズを的確に把握し、俊敏かつ柔軟に行動する知恵など、いわば人間力全般が相当必要とされるでしょうね。少なくとも私には無理なので、そこは素直に後腐れの無い商品経済的関係に頼るつもりです(苦笑)。

   御大が紹介されたスペインの取り組みが上手くいかない(だろうと思われる)のは、相互扶助の関係に商品経済の尺度を持ち込んで、本来杓子定規には測れないはずの「困った時はお互い様」的なやり取りを、無理矢理「数量化」しようとしているのが理由なんじゃないかと個人的には考えますね。
 

シエルとジュリオが合体変身すれば解決

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2017年 6月15日(木)11時40分39秒
編集済
   なお後半リストラしてシエル単独でも変身できるようになる。

>この期に及んで現状維持はあり得ない
 魔法つかいはキッパリと「現状維持!」と言い切りましたが、本作はそこから踏み出そうとしていますね。フレッシュでミユキさんが言っていた本気だからこその幸せ的な話に持っていくのかどうか。趣味を本気にするとスポ根、ガチ勢的になって遊びがなくなってしまうので、その辺のさじ加減、落とし所は気になります。スイーツも視聴者のことを考えるとあまり高度化できないしw
 最近のプリキュアは「自分のため」という部分をどうバランスとっていくか、その中での理想や幸せを模索していますね。


>詩羽のいる街
 他の方の書評などを読むと「お金」に不信感やきな臭さを感じている人には概ね好評なようですね。私は人間関係に莫大なコストを感じるんでそこまで詩羽のやっていることが理想的とも思えないんですが。
 極論すれば友達がいなくてお金だけで暮らしていくこともできるし、逆にお金がなくて友達だけで暮らしていくこともできる。その間をとって暮らしていくこともできる。そのさじ加減、方法、発想があればいいんじゃねーかなって思いますね。私もルールや道具はそれが便利だから使うのであって、ルールや道具が人を使うのではない(人がルールや道具に縛られるのではない)と思っているので彼女の言い分には賛成なんですけど。
 ただ、生き方を一つに絞るっていうのはそれに依存することに他ならない。お金に依存しない代わりに人に依存することが美徳で理想とは限らない。お金に依存している私が言うのもなんだけどさw

 これは社会経済学の本で有名な話ですが、ある国の保育園で時間になっても子どもを引き取りに来ない保護者がいて困っていたそうです。そこで規定時間を超過した場合はペナルティとして罰金を課すようにしました。人は合理的なので罰金を払いたくないだろう。これでみんな時間を守るだろうと思われた。実際はどうなかったか。
 時間超過する保護者が増えたそうです。罰金を払えば預かってもらえると解釈されたんですね。それまでは良心が咎めて自粛した保護者も罰金という合法的?手段ができたことで良心の呵責がなくなったようです。ん~合理的(笑)
 これを人間の浅ましさ、金の汚さと見るか、ビジネスチャンス(潜在的ニーズ)と見るか。ということです。


今回は
・犬は勘定に入れません
・少年小説大系第8巻空想科学小説集(番茶会談)
・プレイボーイスパイ城京助の華麗なる大冒険
 をリストに追加。
 スマリヤンの本も気になるけど図書館にないんだよね。
 

憧れのその先に

 投稿者:cosmos  投稿日:2017年 6月15日(木)03時52分58秒
   憧れの伝説のパティシエが、実は素人集団だったと知った時のシエルの絶望でゼツボーグ作ろうぜw(ゲス顔)

 憧れのパティシエが憧れているのは自分…という少々ややこしい構図になりましたね。恐らく同い年間で序列が出来そうになっているのを有耶無耶にする為だと思われますが…やっぱややこしいw

 いちかが意識高い系になると、周りのメンバーも何かしら一皮剥けるエピソードが必要になるし、そうなった場合チームを維持するのが難しくなりそうなので、シエル側の認識を調整する展開になりそうだと感じています。

 でも今後どうなるんでしょうね。この期に及んで現状維持はあり得ないので、何らかの形で成長していくとは思うのですが…今の所、いちか一人が前に進もうとしている感じで、足並みが揃ってないのが少し気になります。いや、本作のユルさを考えるとそもそも足並みを揃える必要があるのかさえ怪しいのかも。


>ジュリオ
 シエル加入で更に拗れて、レジーナみたいに終盤まで引っ張る展開になったらどうしよう(汗)。
 それだとジュリオ救済が目的になっちゃうから、今の作風に合わないって事になるんだろうけど…
 改心した後、自助努力でキミマロ宜しく自分探しの旅にでも出るんだろうか?w

 …もういっそ、変身アイテムにでもなればいいよ…
 

奴らは情報を食ってるんだ!(by芦沢)

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2017年 6月10日(土)19時35分10秒
編集済
  >不正解するザシュニナ
 「やっべ、選択肢間違えた。セーブしたところからやり直さなきゃ」
 あるある。
 そんな恋愛ゲーム感覚でリセットしようとするザシュニナのもとに変身ヒロインが颯爽と登場。
 果たして真道君の心を射止めるのはザシュニナかつかいさんか。物語は超次元の領域へと踏み込んでいく。

 もうこれ(SFなのかプリキュアなのか)わかんねぇな。

 ワムの日本政府対応からサンサのメディア拡散がかなり駆け足だったので、なんらかの飛躍があるのだろうと思っていましたが、文字通りの超展開w これを予想できたとは言いませんが、真っ当に人類の進化発展を描くわけでもないんだろうと思っていたのでこの流れはしっくりきてます。

 完全な異方存在であるザシュニナ。
 異方存在でありながら人類を尊重するつかいさん。
 その両方を知る真道くん。

 まさに最終決戦w
 ザシュニナを退けたとして、すでに拡散しているワムやサンサは元に戻せない……カドぶっ壊せば解除されるのかな? はてさて。
 

ステージマネージャー・田久保寛「〇〇さん、時間です。幸運を。」(『蜜蜂と遠雷』)

 投稿者:この道の者  投稿日:2017年 6月10日(土)15時51分27秒
編集済
  (↑)田崎ソムリエのイメージw

   譬えて言うなら、「悪人の登場しない天下一武道会」かな(ドラゴンボールは詳しくないのであくまで印象ですが)。プリキュアで言うなら「『スイート』の世界で『GOプリ』をやってみたらこうなった」でしょうか。国際ピアノコンクール会場を舞台に、それぞれの見果てぬ夢を抱きつつ、互いに切磋琢磨し合いながらピアノ界の頂点を目指す青春群像劇 ― 凡人に付き物の焦燥感やルサンチマンとは無縁の「音楽に愛された天才のタマゴたち」が繰り広げた束の間の夢の饗宴、とでも纏めればいいかな。主人公の風間塵くんの行動原理なんてまさに「ひゃ~、オメェ~強ェな~。オラわくわくすっぞ!」でしたしねぇw。

   クラシックに限らず音楽全般に疎いので、作品に登場する楽曲(課題曲)は一つも分からなかったんですが、長谷部さまの仰る通り、畳み掛けるような短文の連続を用いた演奏描写からは間違いなく「妙なる調べ」が響いてきました(ググってみると、作中に登場する全楽曲のCDアルバムも発売されているみたいですね…いや、流石に買いませんがw)。同氏の『夜のピクニック』が気に入った方であれば満足できる作品だと思います。私の場合、税別1,800円の元を取るどころか十分お釣りが来ました(笑)。長谷部さま、背中を押して頂き有難うございます(^^)。

◆◆◆

   人間の最良のかたちが音楽だ。
   そんなことを思った。
   どんなに汚くおぞましい部分が人間にあるとしても、そのすべてをひっくるめた人間というどろどろした沼から、いや、その混沌とした沼だからこそ、音楽という美しい蓮の花が咲く。
   僕たちは、あの蓮の花を、いつまでも咲かせなければならない。もっと大きな花、もっと無垢で美しい花を。それが、人間であることに耐えていくよすがであり、同時に報酬なのだ。
(p.486)

――――

   世界はこんなにも音楽に満ちている―
   風間塵の声が、亜夜の頭の中に鳴り響いた。
   約束だよ。
   金管が、木管が、弦楽器が、ピアノが、風間塵が、亜夜が、観客が、ホールが、芳ヶ江が、鳴っている。
   世界が、世界が、世界が、鳴っている。興奮に満ちた音楽という歓声で。
   約束だよ。
(p.495)

◆◆◆

>今週のつかいさん

   つかいさん「ザシュニナ、あんたに幸路朗は渡さない(大意)!」…とうとう魔法少女(異方少女?)へと覚醒したでござるw(少女って年齢ではないんですが)。しかし真道がまさかのヒロインポジとは(笑)。

   冗談はさて置き、要するにザシュニナには「人類が生み出す情報という“食物”をより大量に、より効率的に収奪したい」っていう思惑があったってことか。つまり「この宇宙」はいわば畑で、ザシュニナはワムやサンサといった「化学肥料」や「農薬」を新たに導入して「緑の革命」を起こそうと画策した。それに異を唱えたのが「この宇宙」の管理者・自然農法家の徭(つかい=(異方からの)使い)沙羅花嬢、という図式かな。

   これはこれで「神々の闘い」っぽい超絶展開で面白くはあるんですけれども、個人的にはワムやサンサやナノミス何たらの導入で、世界が遂げるであろう変容をリアリティ豊かに描き出してほしかったな~と思うので、その点は残念ですね。
 

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