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キラプリは今回の制服の方が可愛いと思う

 投稿者:安藤さんに踏まれたい  投稿日:2018年 1月18日(木)22時12分16秒
  ご無沙汰しています。

>ヴァージル氏
再度失明しながらも、それが必ずしも悲劇とはならない話を聞き、昔観た「佐武と市捕物控」を思いだしました。
アニメだったか原作だったかの記憶も曖昧なものですが、市やんが目の手術をする話がありました。
市やんは生まれついての盲人ではなく、幼少期に馬に蹴られたことによって失明した。
だから、手術で治るかもしれない。と言うことで、治療を受けることを決心します。
その後、目が見えるようになる期待でウキウキしてる市の姿が描かれ、手術を受けた際に
「命があるまで包帯を外してはいけない。禁を破ると、二度と見えなくなるぞ」
と厳命されて、その日を待ちます。
事件発生は待ってくれません。佐武が現場に向かうのですが、相手に囲まれ危機に陥ります。
市やんが加勢に入るものの、包帯が邪魔で間合いが掴めない。
一瞬の逡巡の後に包帯を外してしまいます。
「クッ…、眩しいなぁ」
「市やん!おめぇ、目が…!」
光芒は直ぐに闇に消え、元の盲人に戻ってしまいます。
危機を脱したものの、自分の不手際で目を治すチャンスを潰してしまった事を懺悔する佐武に
「目で見るよりも大事な事がある」
と慰める市の姿で終わる話です。

その話を見たのは中学位だったでしょうか。印象には強く残っているものの、子供ゆえに作者の意図を読み取っていたとは言えず、また、それ以来見ていないので、記憶の中で良いように改変しているかもしれません。なんとか原著に当たってみたいと思っています。
 
 

戦力の層が厚いのも大所帯の強み

 投稿者:cosmos  投稿日:2018年 1月16日(火)20時05分22秒
編集済
   気が付けば総勢7人のプリキュアで歴代最多。影の薄いペコリン、頑張りました。このまま従業員不足になったキラパティの新メンバーになったりしそうですね。


>未婚のシングルマザー
 どうせ、育児放棄した男親から押し付けられたに決まっている。(名推理)


>無色透明は‘いちか色’にしか染まらない?
 どうなんでしょね?少なくともいちか個人はいちか以外の何者にもなれないとは思いますが、そんな彼女が世界やエリシオにどう繋がっていくのか。
 スイーツ女子のスイーツ大好きを見せつけるだけで、世界は色を取り戻せるのか?エリシオは自分の心を見つけられるのか?
 このまま手堅くスイーツ流し込んで「スイーツうめー俺これ好きだわー」ってなっても良いし、何か予想もつかない飛躍があっても良い。

 世界とかエリシオとかは適当に片付けて、いちか個人に何か問題を突き付ける形になっても良いし、考え出すとキリが無いんですよねぇ…(取り止めが無いとも言う)



>「触れる」ことで、真に「見える」ようになる
 触った事物が触っている間だけこの世に存在してるって感じですかねー。
 大雑把に言えば手が届く範囲にしか世界が存在して無かったのに、急に目に見える範囲全てに世界が常に存在していると考えなきゃいけなくなる…ような?
 

視覚による世界構築も赤ん坊からの学習の産物

 投稿者:この道の者  投稿日:2018年 1月16日(火)12時04分3秒
編集済
  >『火星の人類学者』

>強制スクロールアクションゲームやってるような感じ



   拙プレゼンに予想外の反響を頂き嬉しい限り(^^)。

   著書を読んだ限りでは、暗闇の中で主として手探り、即ち触覚を利用して時間差を置いて現われる事物を把握していく…というのが先天的盲人の方にとって、「世界」を認識する際のいわばデフォルト(初期設定)になっているようです。そういう方が後天的に視覚を得た場合、理屈では分かっていても視覚のみで、しかも同時的に事物を認識することには多大な困難が伴うみたいですね。因みにそういった場合、これまで自分が慣れ親しんできたやり方、つまり実際に事物に「触れる」ことで、真に「見える」ようになるんだそうです(↓)。

◆◆◆

  …触ることでものが見えるようになるというこのめざましい事実によって、それまで謎だったことが解明された。手術以来、ヴァージルは玩具の兵隊、自動車、動物、有名な建物のミニチュアなどを買い集めて小人国をつくり、何時間もいじってすごしていたが、彼をかりたてていたのは、ただの稚気や遊びではなかった。ミニチュアに触り、同時に見ることで、彼は大事な関連づけを学んでいたのだ。まず玩具の世界で学習することが、本物の世界を見るための準備だった。… (前掲書 p.144より)

◆◆◆

>今は普通にノーロード(販売手数料ゼロ)、信託報酬0.5%未満の商品が数多くあるので大丈夫

   いつか役立つことになる知識かもしれません。実に参考になりますね、有難うございますw。


>ヨーグルトメーカー

 ヘルシーで腹持ちが良く、かつ財布にも優しい食材として私は納豆を利用していますね。3パック55円で、休日小腹が空いた時になど結構重宝していますw。
 

ヨーグルトメーカーを2回連続で失敗して自信喪失中

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2018年 1月15日(月)22時47分40秒
   アプリで五マス将棋を落として遊んでるんですがこれがなかなか面白い。
 5×5の盤面なんで展開が早いのと、有利不利がくるくる変わるので緊張感がある。


>三ツ星カラーズ
 なにこの、見た人の感想が
・クソガキ       7%
・可愛い       12%
・???って誰だよ   3%
・ことはに踏まれたい 78%
 になりそうなアニメ。


>ぼったくりレベルの販売手数料や信託報酬
 大方定年退職した人に売り込んだ結果だとは思うけどね。
 今は普通にノーロード(販売手数料ゼロ)、信託報酬0.5%未満の商品が数多くあるので大丈夫ですよ。


>火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者
>ポーチのはしまでの間に障害物や階段があれば、それらの障害物は一定時間ののちに現われるものだと考えていた
 強制スクロールアクションゲームやってるような感じか?w
 後天的な視覚を得た人の体験は聞いたことがなかったなぁ。ちょっと読んでみるか。
 

視力に関する2例は情報受信と認識とは直結するとは限らないという話かな

 投稿者:長谷部  投稿日:2018年 1月14日(日)15時53分58秒
  >オリヴァー・サックスの著書

 実に興味津々ですね。
 もう15年以上前に読んだ、インド系アメリカ人科学者の著書である『脳のなかの幽霊』を思い出しました。
 今回は7人の症例のほうを読んでみたいと思います。
 ご紹介ありがとうございました。


>無色透明は‘いちか色’にしか染まらない?

 いちか(やペコリンたち)は、特定の◯◯が好き、のみに遍く染めるべきだとは、思っていないでしょう。
 人それぞれが、好き・嫌いの感情を持つこと、それ自体を求めているのだから、それは‘いちか色’ではないでしょう。(‘いちか色’イコール全色分離状混合色なら別ですが、‘いちか色’にしか…という文脈からは、そうは読み取れません)

 

オリヴァー・サックスの著書2冊

 投稿者:この道の者  投稿日:2018年 1月14日(日)01時19分17秒
編集済
     著者オリヴァー・サックス氏は英国出身のベテラン脳神経科医。自身の臨床経験を通じて出逢った「個性豊かな患者の面々」を綴った多くの一般向けの啓蒙書で知られ、いずれも邦訳されている(映画化もされた『レナードの朝』の原作者としても有名)。2015年没(満82歳)。


   1.『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』(1995)

   2.
見てしまう人びと―幻覚の脳科学』(2012)


   1.は脳神経に障害を持つことで、常人には想像もつかない症状に悩まされる7人の患者を描く。個人的に強く印象に残ったのは:

  ①自動車事故の日を境に突然「全色覚異常」となり、世界が全て「白黒テレビのように」しか見えなくなった65歳の画家の話、

  ②嘗て自身が生れ育ち、今ではすっかり往時の面影を失った故郷イタリアの小村ポンティト、その戦前・戦中の風景を写真と見紛うばかりの驚異的記憶力で描き続ける「思い出に取り憑かれた」芸術家の話、

  ③生まれつき重度の白内障を患い、生涯を殆ど盲目で過ごしてきた男性(ヴァージル)が、外科手術により40年ぶりに「視力を取り戻した」その後の悲劇的な顛末、

   の3つでした。

   ②の画家のケースに示される、いわば「失われた故郷に寄せる過剰なまでの喪失感と執着」は、恐らく『君の名は。』の新海誠監督と相通ずるコダワリがあるように感じましたね。しかし中でも印象に残ったのは③の事例でした。先天的な盲人の方は人間を含めた“もの”を、「時間を置いて現われたり消えたりするもの」と捉えているため、たとえ視力を回復して複数の“もの”が同時に存在する姿を目にしたところで「さまざまな色の集まり」としか見えず、初めは人間もそれ以外の事物も全く見分けられないらしい(写真に至っては論外)。見分けるためには「視覚の恒常性」を一から意識的に学び直す必要があるが、それは患者の精神に多大な負荷を掛けることとなる。それ故、なんと大多数の患者は「目が見えることで新たに生まれた葛藤やストレス」を結局克服できずに終わるのだそうです。

◆◆◆

  …ヴァージルに会ったその日、ほかにも問題があることが明らかになった。彼は角、端、色、動きなど部分部分をいっしょうけんめいに見るのだが、それを統合し、全体をざっと見て把握するということができなかった。……ヴァージルのような立場に置かれた患者の多く、あるいはすべてのひとが、同じ困難にぶつかるのだろう。…ヴァルヴォは彼の患者T・Gの言葉をつぎのように記している。

   手術前、空間についてまったくちがった考えをもっていて、“もの”は一点を占めるだけだと思っていた。また……ポーチのはしまでの間に障害物や階段があれば、それらの障害物は一定時間ののちに現われるものだと考えていたし、それになれていた(以下略)

   ヴァルヴォはこれについて、こう解説している。「ここでのほんとうの困難は、時間の流れにしたがって触覚で認識してきたひとたちはさまざまな“もの”の同時的な認識に不慣れであるということだ」わたしたち五感が備わった者は空間と時間の世界で暮らしているが、盲人は時間だけの世界に生きている。盲人は(触覚、聴覚、嗅覚の)印象の連続によって世界をつくりあげていて、晴眼者のように同時的な視覚認識によって状況を理解することができない。じじつ、空間を見ることができなければ、どんなに知能が高くて、比較的遅く視覚障害者になったひとでも、空間という概念は理解不能だ(以下略)。(
1.p.134~6より)

―――

  …新たに視力を獲得した者の場合、見ることを学ぶためには、神経機能の急激な変化が要求され、それとともに、心理的な機能、自己、アイデンティティの急激な変化が必要になる。この変化は、文字通り生きるか死ぬかの体験である。ヴァルヴォは、「晴眼者としていったん死に、盲人として生まれ変わらなけばならない」というある患者の言葉を紹介しているが、逆もまた真である。ひとは盲人として死に、晴眼者として生まれ変わらなければならない。その中間の煉獄(リンボ)―二つの世界のあいだ、いっぽうでは死に、もういっぽうではこれから生まれるべき無力な者であること―怖ろしいのは、これである。 (1.p.152より)

◆◆◆

   結局ヴァージル氏の場合は更なる病気を併発したことで再び視力を完全に失ってしまいます。ところが著者はこの一見「悲劇的な幕切れ」についてこんな風に記しています。

◆◆◆

   [ヴァージルは]視力が戻った当初には驚き、感激したし、ときには喜びもあった。それにもちろん、彼には勇気があった。新しい世界への冒険、遠征の機会はめったに与えられるものではない。だが、やがて見ることと見ないこととの葛藤が生じた。見える世界をつくりあげられないのに、自らの世界は捨てなければならないという葛藤だ。彼はふたつの世界の間で引き裂かれ、どちらにいても落ち着けなかった。逃げ場のない苦しみである。だが、皮肉なことに二度目の決定的な盲目というかたちで、救いが与えられた。盲目を彼は贈り物のように受けとった。ついにヴァージルは見なくてもすむようになった。わけのわからないまばゆい視覚の世界と空間から逃れることをゆるされ、ほぼ五十年慣れ親しんだべつの感覚の世界に、ようやく身を落ち着けることができたのである。(1.p.162より)

◆◆◆

   新たに獲得した能力が必ずしもその人の幸せに繋がる訳では無く、逆に呪いを齎す場合もある…なんか、深い話になってきましたねw。

   2.はオリヴァー氏の生前最後の著書。精神錯乱や妄想とは無縁の「正常な感覚入力が途切れたために、脳が懸命に情報を補い、つじつまを合わせようと活発に活動する結果(「訳者あとがき」より)生まれる幻覚や、片頭痛や癲癇や薬物で引き起こされる脳神経の活動の異常により生まれる幻覚etc.について、若かりし著者自身の―恐らく現在では非合法の―薬物体験も含めた(!)豊富な実例を挙げつつ詳細に論じており、実に読み応えがあります。幻視・幻聴・幻嗅・幻肢といった味覚以外の五感に基づく幻覚が一冊でほぼ網羅されているのもおトク感がありますね。1.2.どちらでも興味のある方は是非手に取ってみて下さい、おススメです!(そういや本書にも登場する「アントン症候群」を、山本弘氏が『僕の光輝く世界』の中で、主人公が抱える特殊な疾患として登場させていましたね。正直物語としての完成度は今イチかなという気がしましたがw(毒))。


>金融庁(=政府)の思惑

   成程、現在ほぼ死蔵されているに等しい「世界第2位の個人金融資産」を、「何とかして株式投資に回す(市場に吐き出させる)気を起こさせるべく、我が国の政府はいろいろ画策しているということですねw。今月から運用の始まった「積立NISA」もそのための啓蒙活動の一環であると。

…などとやや茶化しているような物言いをしましたが、今回の「官主導の投資のススメ」には十分な論拠に基づいた説得力があるように思います。

◆◆◆

  …このように世界の多くの中央銀行が、金利を下げて景気をよくするという方法をとりました。ところが日本では1990年代にバブルがはじけたあと金利をどんどん下げ、ほとんどゼロという状態にしても景気は回復しませんでした[注:1999年ゼロ金利政策を開始。その後解除と復活を繰り返し、2016年マイナス金利政策を導入し現在に至る]ケインズはこれを「流動性の罠」と呼んでいます。金利がほとんどゼロでお金を借りられて、流動性が高まったにもかかわらず、企業の投資が全然伸びないのです。

   つまり、いまのままでは先行きが不安で将来に展望がないから、みんなお金を使おうとしないのです。いくら金利が低くても、お金を借りて新しく何かをしようとは考えません。……しかし逆に言えば、先行きが不安でみんなお金を使おうとしないのなら、これから世の中がだんだんよくなっていくんだとみんなが思えるようになれば、投資が増えて流動性の罠から脱出するということができるわけです……そうは言っても気分をどうするかなんて話は政策になりません。日本経済はこれから間違いなく発展するという道筋をきちんと示したり、有望な産業がでてきて、みんながそこに投資をしたりするようにならなければ、景気回復のきっかけにはならないのです。

(『池上彰のやさしい経済学① しくみがわかる』日本経済新聞2012  p.171~2より引用)

◆◆◆

   (↑)この文章が書かれたのは大方6年前ですが、「流動性の罠」に囚われた日本経済の状況は全然変わっていないようですねw。でもまぁ素人考えながら、これから投資を始めようとする一般人にとっては、この閉塞を続ける状況も活用次第なのかなという気がします。投資対象を日本企業に限る必要は全く無いですし、新規事業拡大意欲の旺盛な海外企業をターゲットにすればいいでしょうからね。

   御大が紹介された記事によると、相変わらず投資に「無関心」あるいは「所詮はギャンブルと同じ、素人には難解で危険なシロモノ」との先入観をもつ国民が多いみたいなので、今後もよっぽどの「経済の将来性への期待」を国民が「実感」しない限り、経済は冷え込んだままデフレ脱却には繋がらないように思います。だとすると今回導入された積立てNISAなどを御大のようにいち早く取り入れるのは十分アリな選択でしょうね。正直このデフレ状況=物価低迷が続く限り、たとえ少額の配当であっても家計が随分と助かるのは分かり切っているので。とはいえ私の場合(恥ずかしながら)現在家計がカッツカツですから、(前にも書いたように)投資を始めるにしても住宅ローンが完済する約2年後を待たないといけないのですがw。

   それにしても「(海外に比べて)ぼったくりレベルの販売手数料や信託報酬」はどうにかしてほしいな。大手証券各社に是正勧告とか出せないもんなんでしょうか、ねェ金融庁のエライ人w?


>金融に偏ると金融ショックが起きたときに即死級のダメージ受ける

   そこはやっぱりバランスっていうか、ポートフィリオに留意するってことなんだろうと思いますね。途上国のモノカルチャー経済の破綻や19世紀半ばのアイルランドのジャガイモ飢饉を見ても分かるように、僅かな選択肢に極度に依存した生活っていうのは危なっかしくて仕方ないですもん…などと書いている私自身の生活が相当危なっかしいことに今更ながら気づきましたがw(苦笑)。


>2018冬アニメ

   うーん、高木さんのおでこ以外は、取りあえず様子見ですかねぇ…将棋関係については(随分昔の作品ですが)能條純一『月下の棋士』を読んで大体の流れは掴めていますし(連載当時は現在の羽生永世竜王が、ちょうど今の藤井四段のような立ち位置だった(主人公氷室京介は羽生さんがモデル))。
 

2018年冬アニメ

 投稿者:cosmos  投稿日:2018年 1月13日(土)02時42分8秒
編集済
  >三ツ星カラーズ

 「殺すの?」

 平和を守りたいJSと何かを殺したいJSが、平和な町の平和を守りそうで守らなかったり殺しそうで殺さなかったりする話。

 JSらしい無防備かつおぎょーぎの悪い言動がロリコンハートに火をつけるw
 ことは!俺だ!踏んでくれ!!(ぉ


>りゅうおうのおしごと!
 JS強化月間…という訳では無いですが、こちらもキープ。
 考えてる時の体を揺らすしぐさがロリコンハートにh(ry

 いっぺんこういうゾーンとかフローとかランナーズハイとかいう感じのヤツ体験してみたいですねー。


>からかい上手の高木さん
 成る程…これは聞きしに勝る良いおでこ。(鼻血)

 西片君のリアクション芸というか、自意識過剰っぷりが何ともイタ懐かしい(苦笑)。末永くからかわれろ。

 同一作者の他作品も一緒にやってるみたいなのでそっちのメンツも気になります。これで暫くおで娘分の補給には事欠かなさそうだwww


>宇宙よりも遠い場所
 どんな地味でマイナーなジャンルでも美少女がやればアニメになる。そんな現代社会の闇を受けて、どうせならなるべく変な事してるヤツを観てみたい…という事でチョイス。

 お題は「JK南極行くってよ」…うむ。ニッチだwww

 一番モチベーション高い娘が、行動力があるだけのポンコツになってる事で現状パーティー内のバランスが保たれてる印象。
 ただ、南極でなければいけない理由が弱いので、そこに切り込んでくるかがポイントかなと。

 それにしても…やはりパッツン前髪からはおで娘としての可能性を感じますね…(鼻血)


>メルヘン・メドヘン
 物語調のモノローグと不思議の国のアリスの様な展開に好感触。

 …んが。露骨な戦闘狂がいたり唐突なエロの猛プッシュがあったりしてゲンナリ。

 読書好きに刺さる話になるか、単なる萌えバトルアニメになるか、どっちに転ぶか分からない博打枠。


>ハクメイとミコチ
 美術枠。

 小人の女の子二人が…まぁ、普通に暮らす日常もの。
 設定とか世界観とか頑張って創ってるんだろうな~って感じで美しい作品ですね。



>形にならないものをどう形にするかっていうのが
 なるへそ。
 エリシオが作った世界は謂わば無色透明な世界。そこにいちかがどの様な色を付けるかがポイントって事ですか。

 無色透明というと何色にも染まる、それこそ「何でもできる、何でもなれる」世界の様にも思えますが、キラキラの論法ではいちか色にしか染まりようが無い様に見えるので、どう落とし込むのか楽しみですね~。
 

つみたてNISAを作った理由

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2018年 1月11日(木)15時32分50秒
編集済
  家計金融資産の現状分析(↓金融庁資料)
http://www.fsa.go.jp/singi/kakei/siryou/20170203/03.pdf

世界2位の個人金融資産を持つ日本人。財産所得を増やして、お金に働いてもらおう。
https://freetonsha.com/2017/10/02/money-works/

 日本の家計金融資産1700兆円はアメリカの8500兆円についで世界2位なのだそうだ。
 ところがその資産に占める投資割合は先進国の中でも低く現金主義と言っていいレベル。
 で、この20年の間でアメリカやヨーロッパは家計金融資産を2倍、3倍と増やしてきたのに対して日本は1.5倍弱というカスっぷり。

 つまりだ、日本人がどれだけ働こうとも、寝てるだけで投資資産が増えていく他先進国と比較すれば相対的に貧しくなっていると言える。家計所得も伸びるどころか下がっている。ものづくり日本(笑)
 この辺は金融リテラシー教育がヘボいとか、日本の投資信託がぼったくりレベルの手数料を取っていたとか色々あるんだけど、歴史的に言えば通常工業国として栄えた国は次に金融国に移行する。なのに日本はそれに乗り遅れてる。金融庁が個人投資を推進したがるのもわかる。金をただ死蔵してるようなものだからね。金を回さなきゃ経済は回らない。
 少なくともこれだけの個人金融資産を持っていて、肉体労働のみに所得を依存させる方が非効率的。これだけ金があるんだから金に働いてもらえよ、という極当たり前の話。
 まあ、金融に偏ると金融ショックが起きたときに即死級のダメージ受けるんだけどね。

 …しかしそれにしても「規模の大きい投資信託の日米比較」の中身が酷いなw 日本人センスなさすぎww

 今期のアニメ
>りゅうおうのおしごと!
 主人公は竜王のタイトルホルダー。あるとき小学3年生の女の子が押しかけてきて弟子入りを頼まれる。それなんて蒼山サグ?(作者は違う)
 原作派によると将棋のシーンは熱いらしいので、スポーツものの一種として見てみたい。


>からかい上手の高木さん
 高木さん可愛すぎ問題。ここまで可愛いと惚れない方がおかしい。


>バタフライ・エフェクト
 作品的には主人公消滅EDが一番皮肉が効いてるんですが、劇場版EDの男女がすれ違うシーンは印象に残る終わり方で、バタフライ・エフェクト以降の作品でそのシーン出てきたら「バタフライ・エフェクトだな」って言われたりしますね。
 

毎年恒例ながら

 投稿者:この道の者  投稿日:2018年 1月11日(木)12時10分34秒
編集済
     プリキュアも怒涛の急展開ラッシュですね。いろいろ思うところもあるし、紹介したい本も幾つかあるんですが、また後日落ち着いて書き込める機会があればということで今回はご勘弁下さい。


>バタフライ・エフェクト

   お勧め頂いた宅配レンタルはやっぱり手間と時間が掛かるかなぁと思いつつ、諦め切れず後日改めて検索を掛け直したら「最寄店に在庫あり」との表示がw。どういうこと(真顔)?

   それは兎も角早速視聴しました。成程、御大の仰る通り名作でしたね。

   【参考:Studio POPPO公式ブログ「ぽっぽブログ」:バタフライ・エフェクトを観た感想と評価:映画考察】
   https://studiopoppo.jp/poppoblog/cinema-study/17249/

   上記のブログ主はかなり詳細に考察された上で設定の矛盾点を幾つか指摘されておられますが、タイムループものには若干の「辻褄の合わなさ」は付き物ですからねぇ。少なくとも私は全く気になりませんでしたし、そこまで設定に拘る必要も無いかと個人的には思います。

   御大は既にご存知かと思いますが、この作品には劇場公開版を含めて四つのエンディングがあるようですね。もともと企画されていたディレクターズ・カット版のラストは、「余りにも救いようが無い」ということで劇場公開版のラストに差し替えられたんだとか(↓)。私は劇場公開版が無難な落としどころでもあるし、一番いいんじゃないかと思いますね。

   【何の参考にもならない映画評:The Door into Summer】
   http://diracsocean.blog16.fc2.com/blog-entry-353.html

   結局単なる凡人が「救世主」気取りで、己の分を弁えることも無くその場その場の浅はかな思い付きで行動し続けると、最後はディレクターズ・カット版のような「究極の自己否定」に行き着いてしまう、っていうのが本作品のテーマなんでしょうね。いわゆる「ループもの」の毎度ながらの結論の一つではあるのですが。

   設定の矛盾点と言えば、ようやく『君の名は。』も先日視聴できたんですが…瀧と三葉の入れ替わりが起こっている時期に、「同じ日付なのに曜日がズレていることに二人とも最後まで気付かない」ということの方がよっぽど気になりましたねぇ。特に三葉は巫女も務めるぐらいの由緒ある神社の家系に属しているという設定ですから、少なくとも六曜などの暦関係には人一倍敏感なように思うのですが(神社の行事にも関係するだろうし)。まぁ傑出した映像美は素直に高評価に値するので、重箱の隅を突くような無粋なツッコミであるのは承知の上でw。


>アニメはひたすらウジウジしてる主人公が(多分)超主観的体験を通して少しだけ前向きになる話しかしてない

   それがねー、原作の1~3巻で世界を縦横無尽に駆け回っていたゲドが、4巻(恐らく実質的な最終巻)ではすっかり年老いてしまい、人目を避けて故郷の村に引き籠ってしまった挙句、口を開けば「ワシにはもう嘗ての力はのうなった、放っといてくれ」とウジウジ泣き言ばかり繰り返しているというねww。まぁアニメ版は原作と後先が逆になったと思えばいいんじゃないですかねw?(暴言)
 

これ、お前の話じゃねーから

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2018年 1月10日(水)10時23分17秒
編集済
  >ノワール降格
 「世界が俺を否定するなら、俺が世界を否定してやる!」
 っていうのはルサンチマンの常套句で、これ自体は過去作で何回かやってるんですが、今作キラキラにおいてはこれ、全く意味がない。だって他人事だものw 知らんがな。他人を救ってやる義理ないですからね。
 好きを中核とする本作では自分のスタンスが重要なのであって他人をどうこうするのはそのついででしかない。お前が嫌いでも俺は好きなんだよ、で終わる話。エリシオが仕掛けた好き嫌いを取っ払う方がまだ効果的。といってもこれだって「好きはやめられない」で結論でちゃってるからこれもラストバトルになりえない。
 「好き」はそれ自体完結し得る要素、つまり目的がなくても成立するし目的がないからこそ純化される。いちかが「好き」のまま動かない(動けない)のは論理的に正しい姿。とはいえこれでは形にならない。形にならないものをどう形にするかっていうのが最終的にかかってくるんだろうなと。
 

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