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自閉症スペクトラムまで「個性」と呼んだツケ

 投稿者:cosmos  投稿日:2017年11月20日(月)02時21分55秒
   多少の社会不適合に対して「個性だから」と容認する風潮を感じる昨今ですが、ジャンやグレイブの様な厄介事を起こす人格を個性と呼んで良いのでしょうか?

 個性的であるからこそ起きる葛藤、問題、衝突、孤立…等々。本作の戦いはそこへ向かって行くような気がしています。



>エインズ様無能すぎ
 壊すしか能が無いからね。仕方ないね。
 チセとの新婚生活の中で、彼も何かを得る事が出来ればいいのですけど。

 尻に敷かれると言えばこんな物も…



>物語
 「選ばれし者」だろうが「神の子」だろうが、努力しようがしまいが、大概の場合不遇で不幸なんですけどね。まぁ、そうでないと物語が成立しないって話でもあるんですが。
 不幸の解消が物語の目的であるなら、運が良かろうが悪かろうが、努力が実ろうが実るまいが何でも良い。幸せになりやがれこんちくしょうって思います。
 にも拘らず、歴史に残ってる物語でハッピーエンドって意外と少ない気がすんですよねぇ…ハッピーエンドってそんなに価値が無いんだろうか?

>運
 運の良し悪しは人生が有限であるが故の結果論だと思ってます。つまり、不老不死が実現すれば運の良し悪しなんて気にする必要は無くなる…んだけど、それって結局不老不死になれなかった人達は運が悪かったって事になるんですよねぇ(苦)。
 はぁ~~~~…死にたくねぇ~~…生きる事が苦だとしても死にたくねぇ~…苦しいのには耐えられても死の恐怖には耐えられないわ~…

>ゲーム
 対戦ゲームや最高難易度のゲームばっかり遊んでいる身としては、「ゲームなら努力が報われる」とか「王道展開に説得力がある」とかそういうのは感じた事無いですね。
 寧ろヴァーチャルはリアルに引き摺られる。

 要はソシャゲに必要な時間と財力を確保できる環境を手に出来るかどうかも運だよね…って話。ゲームの電源入れる前から勝負は始まっているんですよ。

 序でに言えば、リンク先で挙げられていたSAOの主人公は、コンピューターへの造詣がかなり深くオンラインゲームのヘビーユーザーで実家は剣道場というリアルでの下地が完成している「選ばれし者」。だから、ゲームでのスタート地点が同じとは言えない。

 ゲームでの成功体験なんざ、ハードルが幾分低いだけで他の成功体験と殆んど変わりないと思いますね。
 
 

すでに尻に敷かれてる旦那

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2017年11月19日(日)19時40分33秒
   座ってる状態で出てくるシーン的に。

 ちせ嬢を一人にする→誘拐される×2
 近くにいるのに刺される

 エインズ様無能すぎぃぃぃ!!
 ちせ嬢が10年後まで生きてたら、旦那より強くなってそう。
 

連載中にM本S張氏が文藝春秋社に怒鳴り込んできたらしい

 投稿者:この道の者  投稿日:2017年11月17日(金)12時04分48秒
編集済
  >〇〇賞の選考理由

   どうしても筒井康隆『大いなる助走』(文藝春秋1979)の印象が拭えないですね(笑)。全盛期は過ぎたとはいえ「文壇の権威」がそれなりに幅を利かせていたであろうあの時代に、(極端に誇張・戯画化されているとはいえ)よくもまああれだけ毒塗れの話を書けたものだと改めて感心します。

【Wikipedia:『大いなる助走』】
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%8B%E5%8A%A9%E8%B5%B0


>御大が紹介されたブログ記事

   私が共感したのはこのあたりかな(↓)

◆◆◆

   海燕氏:「「努力すれば報われる」という幻想が説得力を持つ時代が何十年か続いて,その間に「主人公が努力しない物語は良くない」みたいな価値観も生まれたと。でも,実際には全く努力なんてしていない奴が生まれつきの素質で勝っちゃうとか,家柄が良くて生まれながらに勝ち組の奴がいるとか,そういうことのほうが真実であるという一面もあるんですよね。だいたい,神話とかだって主人公は「選ばれし者」とか「神さまの子供」で,全く努力していない話が多いじゃないですか。だから,そもそも努力と成功を因果関係で結ばない話のほうがむしろ王道なのかもしれないとも思いますね。」
(中略)
   海燕氏:「まあでも,努力していないのに成功できてしまうという物語のほうが「正しい」という価値観もあるわけなんですよね。努力したからうまく行きましたっていう物語は,たしかにファンタジーとして魅力的なんですけれど,一方にはいくら頑張ってもダメでしたって物語もあるべきだと思うんです。さらに言えば,頑張っていないけれど成功しちゃいましたって物語もあってもいい。僕はそう思いますね。」

◆◆◆

   筒井康隆繋がりでいうと連作短編推理小説『富豪刑事』を思い出しますね。親譲りの莫大な財産を惜しみなくつぎ込んで、数々の難事件を見事解決へと導くボンボン好青年の「型破りな天衣無縫っぷり」が実に面白かったw(四葉ありすのイメージに近いかな)。


>今の若い子の成功体験,自分の人生で輝いた瞬間っていうのは,ゲームをクリアした時ぐらい

  こないだ視聴したこの番組を連想しました(↓)
【togetterまとめ:Eテレ『ねほりんぱほりん』より「ネトゲ廃人」】
 https://togetter.com/li/1169606

 ネトゲ廃人「ゲームの世界は平等にスタートできる。現実だと努力が実らないことってあるじゃないですか。[MCの山里亮太の方を向いて]M-1とか努力実らなくて嫌じゃないですか?」

   ゲームにおいてスタートは万人に平等で、プレイに時間を掛けただけ(努力しただけ)確実に強くなり、周囲からも「お前スゲェな」と評価される…成程、抜けられないのも確かに分からないでもない。まぁこの方の場合ゲームの傍らちゃんと生活費を稼いでいるみたいだから、本人さえ納得していればこれはこれで一つの生き方で、周囲からとやかく言われる筋合いはないよね。
 

「若者 才能 努力 未来」で検索してたら

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2017年11月16日(木)15時19分11秒
編集済
  >○○賞
 これの選考理由を知っている人はほとんどいない罠。
 自分の感性に合うかは別として、そういうのが今現在流行っているっぽいくらいの認識。


なぜ今,努力しないで成功する物語がはやるのか?――引きこもりのプロブロガー・海燕氏がゲストの「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第17回

 これの中間ぐらいにある

川上氏「あと,なろう系小説の話でちょっと思い出したんですけど,ウチの社員に斉藤大地というのがいて。まぁ,普段は全然ロクに仕事をしない奴なんですけど,そいつがBlogで「なんで今,なろう系みたいな物語が受けているのか」って記事を書いてたんです」

川上氏「そこで彼が書いていたのは,要するに「今の若い子の成功体験,自分の人生で輝いた瞬間っていうのは,ゲームをクリアした時ぐらいだ」ってことなんですね。現代の若者の多くは,それ以外の(成功の)原体験がないんだという。この指摘はほんと凄いなと思って,僕の中で彼の評価が超上がってるんです。……全然仕事はしないんだけど(笑)」


 なるほどってなったわw
 大半の人が分相応な進学、分相応な会社に入って、未婚率25%くらいの時代にあって、ゲーム世代が持つ成功体験ってゲームクリア以上のものがない、って言われたら何か納得してしまうわw
 

やっぱ作品賞の方が頼りになるな

 投稿者:この道の者  投稿日:2017年11月16日(木)12時48分23秒
  >長谷部さま

   いえいえ、こちらこそお騒がせして申し訳ありませんでした。

   ノーベル文学賞の受賞報道を耳にしてから代表作品を読む…というのは、実は私にとって今回が初めてでした。改めて考えるに(長谷部さまもご指摘のように)、芥川賞や直木賞などとは違って「個々の作品にではなく (対談・評論・政治的スタンスetc.も含めた)作家個人に対して贈るもの」というノーベル文学賞独特の性質に対する私の認識が足りなかったように思いますね。『わたしを離さないで』も作品単体としては、英国最大の文学賞であるブッカー賞にノミネートされたものの受賞はしてはいないですから。


>文化(世界観)の違いで意外な人が選ばれてしまうこともあるということだけは再認識してほしいと思った、というのが私の本音

   ぶっちゃけ評価する人が多数派なら仕方無いよねw。

   下世話な話ながら、図書館で貸出し待ちするのも嫌なので、今回私にしては珍しくわざわざ文庫を買い求めてまで読んだというのも毒を吐いた理由の一つなんですよ。「うおー¥864(税込)返せー(怒)」みたいなw。


>100%の悪人

  …「絶対悪」が、背広姿でふわふわとしたソファに座っている…

   悪名高いノモンハン事件を煽動した主要人物の一人である陸軍参謀・辻政信(戦後国会議員になった)を取材した際に、『ノモンハンの夏』の著者である半藤一利氏が心中に抱いた感想を私は連想しました。
 

来週やっと春映画を見られます(劇場に行けなかった)

 投稿者:長谷部  投稿日:2017年11月15日(水)22時13分45秒
  >どうしてこの程度の作品を書いたぐらいで、ノーベル文学賞を受賞する理由たり得るのだろう。

(なんかあっという間に話題が変わったのに申し訳ないですが、)ノーベル文学賞受賞作家はこんな作風じゃなく…ということだとすれば、それはやはり好き嫌いの問題ではないかと思います。今までの受賞者は嗜好・志向が、割に合っていたのかもしれないですね。
 私なんか結構ひねくれもんなんで、ノーベル賞に限らず何かの受賞者(の作風)や受賞作に共感できないことなんてしょっちゅうです。それが自分に合ってないからといって評定者に疑問を持つことはまずなかった。「こんなのが受賞したとは…」に続くのは「残念」であって「疑問」とはならなかった。それで、つい言葉尻を捕えて言いがかりめいたことを投稿してしまいました。
 自分が期待した作風であってほしかった、ということは良くわかったつもりです。その気持ちがたまたま「なんでこれが…」になったのだと理解します。文化(世界観)の違いで意外な人が選ばれてしまうこともあるということだけは再認識してほしいと思った、というのが私の本音です。お騒がせしてすみませんでした。

 * * *

 今回は「100%の悪人」という台詞に暫し絶句。捕まえても更生不可とは極刑しか選択肢無しか。で、そのエネルギー源もまたキラキラル。まったく厄介。
 

この人好きなんですよねぇ

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2017年11月14日(火)22時26分22秒
編集済
   レインの本もう1回読もうかなぁ。


>リアリティーがあるとすればそれは生にではなく死にあるだろう
 R.D.レインは下記のように指摘しています。生の実感を得るためにスリルを求める。


R.D.レイン『ひき裂かれた自己』から空虚な自分について考える。【自意識をひっぱたきたい】


 本当に生きているという感じをもっとはっきり体験するために、自分自身を非常な苦痛や恐怖にさらす方法がある。このようにして一人分の分裂病の女性は、自分の手の甲に煙草を押しつけて火を消すという習慣をもっていたし、また眼球を親指で強く押したり、ゆっくりと髪の毛をひっぱったりする習慣をもっていた。彼女は何か<現実的>なものを体験するために、このようなことをしたのだと説明してくれた。ここで理解しておかねばならない重要なことは、彼女がマゾヒスティックな満足を求めたのでもなければ、無感覚でもなかったということである。彼女の感覚は普通と少しも変わらなかった。彼女は自分が生きていて、現実のものであるということ以外は、あらゆることを感じることができていた。ミンコフスキーは、彼の患者の一人が同じ理由で、その衣服に火をつけたことを報告している。つめたい分裂病質者の人は<刺激を求めていく>し、極端なスリルを追求するし、極端な危険に自分をさらすが、ある患者が述べたように、それは<生命をおどかしてそのいくらかを巻き上げてくる>ためなのである(強調:筆者)

 レインが前提にしているのは今日で統合失調症患者になるでしょうが、現代は精神病が軽症化している傾向にあって、健全と病的との差が当時よりも少ないと考えられます。
 彼の説が精神医学的にどの程度の信頼性があるのかはわからないんですが、彼の説で私も共感できるのは、精神病だからといって常人のそれと異質ではないという指摘です。程度問題であり、常人の通常思考が極端に先鋭化したものが精神病だとすれば、精神病患者の言う事象は本質的に常人にもあり得ると考えられる(ただし無制限に拡大適用できるものではない)。
 現代に照らし合わせれば、彼が指摘している点は少々極端な(しかし比較的いるであろう)タイプと言えるんじゃないでしょうか。すくなくとも根っこの部分をかなりの程度掘り起こしているのではないかと。


 ところで私はアイデンティティ大丈夫だぜ!と豪語していましたが、シゾイドの根幹は下記にあります。
 私が私でいられるのは孤独であるからこそ。この洞察は素晴らしい。よく俺のことを知ってるw

 ひとがひとりの人間として他の人間にかかわりをもつためには、自己の自律的なアイデンティティについて堅固な感覚をもつことが要求される。さもなければ、いかなる関係といえども、アイデンティティの喪失のおそれをもたらす。その一つの形態が「呑みこみ」と呼ばれる。ここでは人間は、誰かもしくは何かとのかかわりを、あるいは自分自身とのかかわりそのものさえも、おそれるにいたる。というのは、いかなる関係においても、自律性の堅固さについての不全感が、自律性とアイデンティティとを失いはしまいかというおそれに、彼を直面させるからである。呑みこみは決して、それを避けようとする人間のきわめて積極的な努力にもかかわらず、いやおうなしにおこってくるようなものとしてのみ、見られるべきではない。その人間は、たゆまぬ熱烈な絶望的活動によって、溺れることから自分を救うことに汲々としている人間として、自己を体験する。「呑みこみ」にあっては、理解される(したがって把握される、了解される)こと、愛されること、そして単に見られることにすら、危険が感じられる。
 憎まれることも他の理由から恐れられるかもしれないが、憎まれること自体は、愛によって呑みこまれ(そう感じられるのであるが)破壊されるのにくらべれば、障害の程度はずっと小さいことが多い。

 呑みこまれるおそろしさの圧迫のもとにあって、アイデンティティを維持するためにつかわれる主な策略は孤立である。それゆえ、個人的の自立性にもとづく「自立」と「かかわり」という両極のかわりに、ここでは他者に吸収されることによる完全な存在の喪失(呑みこみ)と完全な孤独(孤立)という対立が生じる。
 

漂白リオ君を「遂に男のプリキュア誕生か!?」とする声を

 投稿者:cosmos  投稿日:2017年11月14日(火)19時09分23秒
  ネット上で散見しましたねぇwww

 今回の集団餌付けから思い出すのはやっぱりハニーキャンディーw大森ゆうこ様は偉大だったわww

>ビブリー
 身も蓋もない事をぶっちゃけてくれるのが面白い。その内メタ発言とか飛び出しそうw
 今迄誤魔化されてきた部分に切り込むアンチテーゼにもなり得る指摘をしているので、今後が楽しみですね。



>魔法使いの嫁
 旦那がぐいぐいリードする話かと思ったら、エリアス様意外とヘタレだったっていうね。
 チセもチセで予想以上に聡明な娘だったし、夫婦二人三脚でお互い癒され育っていく様がイメージされてこそばゆいのが心地良い。

 取り敢えず子供は六つ子でw



>モトラド(ソウ)
 そう言えば、狂っている事が前提のあの作品では珍しい真人間(?)でしたね。嫌悪したり違和感を感じる事が多い中で、ソウの感性が痛快な人は多いんじゃないでしょうか。



>現代の若者
 自分は「最近の若者は偉くなりたがらない」とか「金持ちになりたがらない」って話を思い出しましたね。偉くなろうが金があろうがその幸せは底が知れてるって言うのか…「どうせ頑張ってもその程度なんでしょ?」って声が聞こえて来そうなんですよねぇ。

 文学なんて大仰なものじゃなくても、昨今の世のヒット作と言われる物には少なからず「抗えぬ運命」的な要素がある気がしますね。或いは登場人物に運命に抗う気が無い。エヴァにしろまどマギにしろキノにしろ。
 Gレコなんかは運命だと思っていたものから放り出されて、不透明な世界に飛び出して行きましたが。


 実存云々の話だと禅僧の南直哉氏が「自己は簡単に分解してしまうものだし、現実と夢の違いが分からない様に現実とはリアリティーの無いものだ。リアリティーがあるとすればそれは生にではなく死にあるだろう」って感じの事を言ってたのを思い出しますね。

 取り敢えず「死ぬのが怖い。」「命の使い方が分からない。」からながらえている身としては、割りとしっくりくる話です。
 

御大の推測は当たっています

 投稿者:この道の者  投稿日:2017年11月14日(火)14時50分48秒
編集済
  >実感できないままに生きることを穏やかに肯定するというのか。激しい葛藤すらない
>なんとなく違和感を持ちながらもそのまま暮らしていける。そういう人間像

   村田沙耶香『コンビニ人間』は昨年、塾生(当時中2男子・頭も地頭も良かった)に勧められて読みました。うろ覚えですが、御大の仰るような主人公が登場していましたねぇ。旧来の価値観(正社員・結婚etc.)をベースに主人公の生活スタイルにダメ出しし続ける主人公の周囲(親族)に対し、至って自然体(というより天然)の主人公は「あれ?私また何か間違っちゃったかな?貴方がそんなに怒る理由は分からないままなのだけれど、気を悪くさせたのなら御免なさい。」と毎回本心から謝罪するも、親族らが何を問題視してるのかが全く理解できないので、相変わらず「問題行動」を繰り返す…みたいな話でしたっけ。

   芥川賞受賞も納得。現代人心理の一断面を切り取った作品のように思いますね(まぁ買ってまで読むものではないですがw)。


>ひきこもり系の場合、仮に自分がクローンでも「俺は俺」と納得しちゃうでしょうね

   同感。俺はたまたまアイツと同じ遺伝情報を持つ「オリジナル」ですが、それが何か?みたいな感じでしょうかw。


>極論すれば現在の徹底的な肯定。昨日の俺、今日の俺、明日の俺がそれぞれ肯定すればいいだけの話

  『Yes!プリキュア5 鏡の国のミラクル大冒険!』でドリームがダークドリームに怒涛の説教アタックをぶちかました名場面を思い出しますねぇ(思えば公開からもう丸10年経つんだなw)。
 

同じじぶん探し系の人でも「なんとなく共感する」程度の強度がベースじゃないかと

 投稿者:いっしゅう  投稿日:2017年11月14日(火)13時29分50秒
編集済
  >お互いに無い物ねだりをしている
 おそらくですが、現在はもう一歩先に進んでいると思います。

 「じぶん探し」という言葉と関連して「ルーツ探し」が連想されるんですが(この言葉が流行った時期があったし)、これはアイデンティティに裏付けを取ろうとする代償行為だと思われます。(自己の透明性により)内堀が難しいから外堀を埋めよう的な発想ですね。が、現在はこの必要性すらなくなっているんではないかと。
 「生きていることを実感できない生」を克服あるいは何らかの代償行為によって補完するのではなく、実感できないままに生きることを穏やかに肯定するというのか。激しい葛藤すらない。だからなんとなく違和感を持ちながらもそのまま暮らしていける。そういう人間像ですね。
 最近だと「コンビニ人間」が芥川賞とったらしいのでちょっと読んでみたいんですが、人気でずっと貸出中なんですよね。


>「自分はオリジナルではない」という事実判断が「自分にはアイデンティティが無い」になる
 これはニュアンス的なもので、必ずしも作中人物が、というより読者がなんとなく「そうそう、オリジナルじゃないんだよなぁ」という本物感の希薄さを連想させるためのレトリックじゃないかと思います。

 ちなみにひきこもり系の場合、仮に自分がクローンでも「俺は俺」と納得しちゃうでしょうね。自分は自分であるが故に自分である。というトートロジー。極論すれば現在の徹底的な肯定。昨日の俺、今日の俺、明日の俺がそれぞれ肯定すればいいだけの話って私はシンプルに考えますね(脳筋)
 

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